イエメン、フーシ派と前大統領の同盟崩壊で「市街戦」激化
【12月4日 AFP】イエメンの首都サヌアで3日、イスラム教シーア派武装勢力「フーシ派(Huthi)」と同国のアリ・アブドラ・
サレハ(Ali Abdullah Saleh)前大統領の支持者らが銃撃戦を繰り広げ、店舗や学校が閉鎖を余儀なくされている。
住人らは、3年にわたる両者の同盟関係が壊れ、「市街戦」に発展していると訴えている。
サレハ氏は2日、イランの支援を受けるフーシ派と戦闘を続けるサウジアラビア主導の連合軍と、和平協議を行う用意があると表明。
サレハ氏とフーシ派の同盟関係は決裂したものとみられており、フーシ派政治部門もサレハ氏が「元々信じていなかった同盟」に
対して「クーデター」を起こしたと非難している。
3日にはサレハ氏の支持者らがサヌア中心部の複数の道路を閉鎖し、フーシ派の攻撃に備えて重点的に配備を敷いた。
治安当局筋によると先週発生した両者の衝突により、首都全域と国際空港で約60人が死亡した。
サヌアの住民らは、数日前には両者が手を組んでいた主要省庁の周辺で発生している戦闘による狙撃や爆撃を避けるため、
自宅にこもっているという。
3日は日曜日で、通常イエメンでは学校の授業が行われるが、学校を閉鎖した。また目撃者によると、戦闘の犠牲になった複数の
遺体が路上に残されたままだという。
国際移住機関(IOM)に協力している活動家は、「サヌアはゴーストタウンになりつつある。市街戦が繰り広げられ、人々は自宅に
閉じこもっている」と述べた。
イエメンの首都サヌアで、イスラム教シーア派武装勢力「フーシ派」とアリ・アブドラ・サレハ前大統領の支持者らとによる戦闘のさなかに避難する住民ら(2017年12月3日撮影)
イエメンの首都サヌアで、イスラム教シーア派武装勢力「フーシ派」とアリ・アブドラ・サレハ前大統領の支持者らとによる戦闘のさなかに建物から立ち上る煙(2017年12月3日撮影)
イエメンの首都サヌアで、アリ・アブドラ・サレハ前大統領の支持者らとの戦闘で市内を警戒するイスラム教シーア派武装勢力「フーシ派」の戦闘員ら(2017年12月3日撮影)
イエメン・ホデイダの病院で治療を受ける栄養失調の子ども(2017年12月3日撮影)
イエメンの反政府武装勢力、サレハ前大統領の「殺害」を発表
2017年12月4日 22:31 発信地:サヌア/イエメン AFP
イエメンの首都サヌアで撮影された、アリ・アブドラ・サレハ前大統領(2017年3月10日撮影)
【12月4日 AFP】イエメンのイスラム教シーア派反政府武装勢力「フーシ派(Huthi)」が樹立した政府の
内務省は4日、同国のアリ・アブドラ・サレハ(Ali Abdullah Saleh)前大統領(75)の「殺害」を発表した。
フーシ派が運営するテレビ局「アルマシラ(Al-Masirah)」のキャスターは、「内務省は、民兵らが引き起こした危機の終結と、
その指導者、および犯罪者である多くの支持者らの殺害を発表する」と述べた。
サレハ氏は2日、3年にわたってサヌアを共に実効支配してきたフーシ派との同盟関係が決裂したと発表していた。
今回の声明が発表される直前には、花柄の毛布に包まれ、頭部に重傷を負ったサレハ大統領の遺体を捉えたとされる動画が
ソーシャルメディア上で拡散し始めていた。
サレハ氏は2012年に国民からの要求、および政治的圧力を受けて退陣するまで、イエメンを30年超にわたって統治していた。
サレハ前大統領を殺害=反政府組織が銃撃-イエメン
【12月5日 時事通信社】ロイター通信によると、内戦下のイエメンで4日、2012年まで長期にわたって強権体制を敷いた
サレハ前大統領がイスラム教シーア派系の反政府武装組織フーシ派に殺害された。サレハ氏は2日、これまでのフーシ派との連携を
解消し、ハディ暫定政権を支援するサウジアラビアと対話する用意があると表明。フーシ派が「裏切りだ」と非難していた。
フーシ派は4日、サヌアにあるサレハ氏の自宅を爆破。サレハ氏は逃走を試みたが、フーシ派戦闘員の銃撃を受け、死亡したという。
イエメンでは、南部アデンを拠点とする暫定政権と、サヌアを占拠するフーシ派が対立。サウジ主導の連合軍が15年に軍事介入し、
シーア派大国イランの支援を受けるフーシ派への空爆を続けている。
サレハ氏はイエメンで33年間にわたって政権を維持したが、11年の民主化要求運動「アラブの春」で政権打倒の機運が高まり、
12年2月に辞任。その後発足したハディ暫定政権を敵視し、フーシ派と手を組んでいた。
参考・・・バックには米国・ロシア。ミサイルが飛び交う地域です。
イエメンのサレハ前大統領殺害、政治的賭けが裏目か
2017.12.05 Tue posted at 11:11 JST CNN
イエメン・サヌア(CNN) イエメンのアリ・アブドゥラ・サレハ前大統領が4日、首都サヌアから脱出する途中で、反政府武装
組織「フーシ」によって殺害された。サレハ前大統領派とフーシの間では、数日間にわたって激しい戦闘が続いていた。
これまでフーシと連携していたサレハ氏が、フーシによって殺害されたことで、イエメンの長引く内戦終結に向けた希望は大きく
後退し、戦闘が一層激化する懸念も強まった。
フーシが掌握する同国内務省は、サレハ氏の死亡について、「裏切りの民兵集団は始末され、そのリーダーは殺害された」と発表した。
CNNは、サレハ氏の遺体と思われる映像とビデオも目にした。ただ、本当にサレハ氏の画像かどうかを独自に確認することは
できなかった。
フーシの幹部によると、サレハ氏を乗せた車は、フーシが占拠する首都サヌア南部の検問所で銃撃され、同氏と側近数人が死亡した。
サヌアにあるサレハ氏の自宅は2日以上にわたってフーシに包囲され、同氏は身の安全のため、出身地のサンハンへ脱出しようと
していた。
遺体はサヌアに運ばれ、同氏が率いる政党の「国民全体会議」に引き渡された。
サレハ氏は、イランが支援するフーシと3年前から連携していたが、殺害される2日前、サウジアラビア率いる有志連合との関係改善を
望むと表明した。有志連合は2015年から、イエメン国内でフーシに対する軍事作戦を続けている。
サウジ側はサレハ氏の動きを歓迎し、サレハ氏の部隊が援護に加わることを認めていた。
だが、政治的駆け引きで知られるサレハ氏は、この賭けに出たために命を落とすことになった。
サレハ前大統領は軍事クーデターによって実験を握り、1978年に北イエメンの大統領に就任。1990年の統一に伴いイエメン
大統領となった。
2012年には、「アラブの春」の民主化要求デモがイエメン国内でも広がった影響で大統領を辞任した。しかしフーシと連携し、
サウジ率いる有志連合との戦闘に加わったことで、再び政治的存在感が強まっていた。