10数年前まで自宅近所にも小僧寿しの店舗があったが、いつの間にか消えた。
それから見かけることもなかった小僧寿しですが、ありました!懐かしい~。
唐揚げなんかも売ってました。
東京証券取引所は2019年3月27日、持ち帰りずし大手の小僧寿しが上場廃止の猶予期間に入ったと
発表しました。
2018年12月期に10億5700万円の債務超過となったため。猶予期間は19年12月期末まで。
同社は競争激化で売上高の減少が続いている。株価は2019年10月現在21~24円で動いています。
ちなみに、ワークマンが10月15日現在9170円、ファーストリテイリングの株価は64,530円です。
なぜ「小僧寿し」は危機に陥ったのか 犯人は“昭和のビジネスモデル”
Sankei Biz 記事は2019年04月07日 08時00分 公開されたものです。
「小僧寿し」が債務超過に陥った。2018年12月期の決算で10億5700万円の債務超過に転落したことで、
上場廃止の可能性も強まっている。
というニュースが世間を騒がす中で、非常に引っかかる報道があった。小僧寿しの苦境は、
「持ち帰り寿司業態の限界」だというのである。
ご存じのように今、スシローなど大手回転寿司チェーンが大にぎわいである。週末はファミリー
などが押しかけるため、アプリで予約をしても1時間半待ちなどザラだ。かっぱ寿司、くら寿司などと
ともにし烈な争いを繰り広げている。
一方、宅配寿司「銀のさら」も好調で、今年2月にはWeb会員が200万人を突破している。デパ地下や
スーパーの鮮魚売り場では、中トロやウニなど豪華ネタ満載の「寿司パック」が売られている。
こういうところに客をガッツリと取られて、「持ち帰り寿司」そのものの存在意義がなくなりつつ
あるというのだ。そう聞くと、「確かに昔は、子どもの誕生会とか親戚の集まりとかで利用したけど、
今はどこでも寿司が食べれるもんな」」と納得する方も多いかもしれない。
が、個人的にはどうにもしっくりこない。小僧寿し以外の「持ち帰り寿司」はさまざまな企業努力を
されながら、しっかりと存続をして、立派な業績を上げているからだ。例えば、ライバルの京樽は
「持ち帰り寿司」とともに、回転すし「海鮮三崎港」、低価格江戸前ずし「すし三崎丸」などを展開し、
年商は267億円(2018年2月期)。今期の既存店売上高は前年比1.9%増を見込むという。
また、首都圏の方に馴染みのある「ちよだ鮨」も同様で、回転すしの「築地 銀一丁」と
「築地 銀一貫」、立食いずし「築地 すし兆」などとともに、年商は138億円(2018年3月期)と
なっている。
ともに、回転寿司などの多角経営を展開しつつも、主力事業の「持ち帰り寿司」はちゃんと継続して
いるのだ。
小僧寿しは何が問題だったのか
そういうライバルたちの状況を踏まえると、今回の現象は、「持ち帰り寿司業態の限界」などではなく、
「小僧寿しという業態の限界」と捉えるべきなのだ。
では、小僧寿しは何が問題だったのか。
「麺や小僧」なんてラーメン事業や宅配寿司事業など手当たり次第で参入したのが悪いという
専門家もいらっしゃるが、先ほど紹介したように、ライバルは多角経営で成功を収めている。そこまで
奇策に打って出たわけではないのに、小僧寿しだけがここまでひどい結果になったのはなぜか。
いろいろなご意見があるだろうが、個人的には、人口右肩上がりで、需要も右肩上がりということを
前提とした「昭和のビジネスモデル」から脱却できなかったことが大きいと思っている。つまり、明日は
今日よりもプラスになる、来年は今年よりももっと成長をしている、という「右肩上がり幻想」に
とらわれた経営判断を下し続けてきたことのツケが回ってきたのだ。
平成生まれの方たちには、あまりピンとこないかもしれないが、1972年に設立された小僧寿しほど
「昭和」を体現した外食チェーンはない。
高度経済成長の波に乗って拡大路線をひた走り、昭和54年(1979年)には売上高531億円をあげ
外食産業日本一の規模に輝くと、昭和62年(1987年)には、なんと全国で2300店舗を展開した。
この数字がいかにすごいかは、平成日本の寿司チェーンの規模を見ていただければ分かる。
回転寿司業界店舗数1位のスシローは全国で518店舗(2019年4月現在)、京樽もホームページで
店舗数を検索したら168店舗。当の小僧寿しでさえも、ホームページで店舗検索をすると、201店舗だ。
信じられない「拡大路線」
なぜ2300店舗という現在では信じられない「拡大路線」が取れたのか。寿司を売る場所がそんなに
なかったのか。30年前の日本人は寿司を今よりもっとバカバカ食べたのか。
そうではない。全国を小僧寿しで塗りつぶすくらいの勢いで展開をするのが、昭和のビジネスモデル
としては当たり前だったのだ。分かりやすいのが、持ち帰り寿司とほぼ同じ時期に全国展開がスタート
したコンビニと宅急便である。
小僧寿しが100店舗を達成した翌年の1974年、セブン-イレブンが東京・江東区に一号店を出した。
その後、急速に全国へ広がっていくのはご存じの通りだ。1976年には大和運輸(現・ヤマト運輸)が
「宅急便」のサービスをスタートする。関東の企業向け輸送をしていた同社が始めたこの画期的
サービスは瞬く間に広がり、日本全国に配送網が張り巡らされていった。
それを象徴するエピソードが、小僧寿しの創業者、山木益次氏が2004年に出版した『強さと弱さ
小僧寿しチェーンの秘密』(ストーク)の中にある。本の中で山本氏は近年、小僧寿しの売り上げが
落ちているのは、商圏が縮小しているからだと分析している。
調査をしたところ、1991年のユーザーの33%は、徒歩や自転車で3分以内から来店していた。
しかし、2003年になるとこの層が72%に増加。さらに、自動車で5分以上かけてくる客も激減していた。
近場の客が増えているにもかかわらず、売り上げに現れていないということは、店の数が少なくて
客を取りこぼしているからだ。ならば、同じ商圏内に集中的に出店して、ロイヤリティーを高めて
いけばいい――。
そんな考えから、セブン-イレブンのようなドミナント戦略をすべきだというのである。
小僧寿しも青息吐息
2004年といえば、前年に少子化社会対策基本法ができて本格的な「人口減少社会」の到来が叫ばれ
始めたタイミングだ。商圏内の人間が減少して急激に高齢化していくというのに、商圏内を店舗で
塗り潰そうとしていたのである。
現在の店舗数からも分かるように、この戦略が実行されることはなかったが、小僧寿しという会社が
平成になってもなお、昭和の右肩上がり幻想を引きずっていたことがうかがえよう。
そしてこのような傾向はつい最近まで見られた。2013年、小僧寿しの営業赤字が過去最悪を記録した。
原因は、当時の社長が就任以来進めてきた、「宣伝広告費大量投入」と「安売り路線」である、と当時の
経済メディアは報道している。
要するに、競合よりも安い寿司を提供して、テレビCMをバンバン放映すれば、客がガンガンやって
来るだろう、という戦略が大ハズレしてしまったというのだ。
人口が急速に減少していく中で、寿司の国内需要さえも減っている中で、どうにかして店に訪れて
もらいたいということで、回転ずしチェーンはさまざまなユニークな商品や施策を編み出している。
そういう「人口減少」を前提として、独自の付加価値を提供をするという考え方が、小僧寿しから
あまり感じられないのは、筆者だけではないはずだ。
このように書くと、小僧寿しをディスっているように聞こえるかもしれないが、そんなことはなく、
日本人の食習慣を変えた偉大な外食チェーンだと思っている。それまで高価な寿司が、小僧寿しが登場
したおかげで、安く家庭で食べられるようになったのだ。
小僧寿しが成し得た「寿司の庶民化」は、セブン-イレブンの「コンビニ」、ヤマトの「宅急便」と
並び評されるほどの功績であることは疑いようがない。
しかし、その一方で、人口増加の波に乗って、日本に新しい文化を定着させた企業が相次いで苦境に
立たされているのも事実だ。ヤマトは残業代未払いや過重労働の問題が噴出し、ドライバー不足などに
よる「宅配クライシス」が大きな問題となった。セブンは、重労働の割には低賃金ということで慢性的な
バイト不足でFCオーナーが疲弊して、「24時間営業」という根幹が崩壊しつつある。
そして、「寿司の庶民化」のパイオニアである小僧寿しも青息吐息である。
昭和のビジネスモデルは限界
小僧寿し、ヤマト、セブンといった企業の苦境は、昭和のビジネスモデルがいよいよ制度疲労を
きたして、限界だということを示しているのではないか。
世の中は新しい年号で浮かれているが、人口が減っていくこれからの日本は、昭和の「右肩あがり幻想」
は根底から崩壊する。これまで売れていたものが売れなくなる。長蛇の列ができていた店が閑古鳥が
鳴くようになる。そこはロボットだ、AIだ、アップデートだなんだと格好いいことをいうが、
ロボットやAIは寿司も食べないし、コンビニでおにぎりも買わない。
ガッツリと移民を受け入れない限り、国内需要は減っていくのだ。
小僧寿しの危機は、これから我々が本格的な「人口激減時代」に向きわなくてはいけないことを
教えてくれているのではないか。