”TBSの顔”「岸井成格」とは何者か①
『月刊 WiLL』 2016年1月号より
保守派陣営への罵詈雑言
“TBSの顔”と評して間違いない。平日は連夜、「NEWS23」(MC・膳場貴子)のアンカーを務める。日曜日にも毎週、「サンデーモーニング」(司会・関口宏)のコメンテーターとして出演。TBSの社長を知る視聴者は少ないが、彼の顔は広く知られている。
安住紳一郎アナを別格とすれば、凡百の局アナより知名度が高い。TBSの報道を主導している。「顔は言い過ぎ」との反論を封じるため、「NEWS23」公式サイトを借りよう。
《TBS/JNN系列でもおなじみの“顔”であり、週末の「サンデーモーニング」や各ニュース番組、選挙特別番組などでコメンテーターとして活躍中》
実際、たとえば二〇一四年末の報道特別番組「報道の日2014」(司会・関口宏、膳場貴子。TBS系列)にゲスト出演した。二〇一五年末も同様の待遇となろう。ちなみに、サイトはこう続く。
岸井成格氏
「政治はもちろん、経済・社会から世界の動向まで、鋭い視点で切り取り、時代の深層を抉り出す力、さらにそれを明解な分析と分かりやすくテレビで伝えることができる力。この双方を備えた、稀有なジャーナリストといっても過言ではない」
まさに、べた褒め。恥の感覚を忘れた自画自賛と言ってもよい。我田引水、誇大広告、虚偽宣伝と評してもよかろう。以下、そう評する理由を述べる。
岸井成格。一九四四年、東京生まれ。慶應義塾大学法学部卒業後、毎日新聞社に入社。ワシントン特派員、政治部副部長、論説委員、政治部長、編集局次長、論 説委員長などの要職を経て、〈記者のトップである主筆を3年間務めてきた〉(TBS)。いまもアンカー業の傍ら、毎日新聞特別編集委員(役員待遇)を兼ね る。
TBSに加え、“毎日新聞の顔”と言ってもよい。事実、毎日新聞社の公式サイトは「情報番組などにコメンテーターとして出演するなど、毎日新聞の“顔”として多くの人におなじみの論客陣」のなかで岸井をトップで紹介している。
新聞「記者」、それも論説委員長や主筆まで務めた毎日の“顔”にしては著書が少ない。単著は『大転換──瓦解へのシナリオ』(毎日新聞社)だけ。対談本を含めた共著が三冊。編著を入れても合計七冊しかない(国立国会図書館サイト検索)。
問題は量より質だ。最新刊(二〇一三年三月刊)は、佐高信との対談『保守の知恵』(毎日新聞社)。なかで安倍晋三総理や閣僚を「タカ派」と断じて呼び捨 て、揶揄誹謗している。政治家に限らない。自称「保守の知恵」を語りながら、いわゆる「保守」陣営への罵詈雑言を重ねている。
岸井氏と佐高氏の恥ずかしい誤解
いまに始まった手法ではない。同書は、二〇〇六年発刊の『政治言論』(毎日新聞社)の続編に当たる。
同じ対談本で、相手はもちろん佐高信。
なかで佐高が
「偏狭なナショナリストが晋三の周りにはたくさんいる」「たとえば岡崎久彦なんていうのも入っているわけでしょう?」と訊く。
岸井の答えは以下のとおり。
「入ってる。中西輝政とか八木秀治とかね」
物心両面にわたり、岡崎大使のお世話になった者として聞き捨てならない。岡崎研究所特別研究員として岸井に問う。岡崎の、どこがどう「偏狭」なのか。一連 の著作はどれもバランスがとれている。「真正保守」を名乗る右派から「親米ポチ保守」とレッテルを貼られたアングロサクソン重視派の岡崎が、「偏狭なナ ショナリスト」のはずがない。
岡崎久彦・元駐タイ大使
同書発刊当時は第一次安倍政権。つまり岸井と佐高は、第一次、第二次とも安倍政権のときに対談し、総理以下の安倍陣営や保守派を揶揄誹謗してきた。念のため検索してみたが、「八木秀治」なる人物に該当者はいない。
ありがちな文字変換ミスでもこうはならないが、「八木秀次」(麗澤大学教授・日本教育再生機構理事長)の間違いであろう。お互い様なので、誤字誤植は咎めない。
問題は認識評価である。同書によるなら、たとえばフジテレビジョンは「偏狭なナショナリスト」に番組審議委員を委嘱したことになってしまう(八木は委員)。偏狭なのは岡崎や八木ではなく、岸井と佐高の主義主張ではないのか。
同書で岸井はこう語る。
「理想論とかを頭に置いていると、政治記者という仕事はできない。もし理想論にこだわる人だったら、独立すべきだよ」
ならば、新聞社の役員待遇にしがみつくことなく、さっさと自主独立すべきであろう。なぜなら、そういう岸井自身が、よく言えば理想論、普通に言えば偏狭な主義主張にこだわる人だからである。
「理想論」にこだわるあまり、真実も事実も見えていない。たとえば、いわゆる尖閣問題に関連し、最新刊の続編でこう語る。
「これは言いにくいところだけれども、自衛隊、それから海上保安庁も、実力組織というのはこういう時になると、強硬論が台頭してくる」
続けて、佐高が根拠を挙げずに「絶対そうなるだろう」と追従。岸井がこう続けた。
「しかしこういう時こそ慎重にならなければいけない。戦争に向かう時ってこうなんだ。軍部の本質というのはこういうものなんだ、という気がするな」
気のせいにすぎない。彼らの錯覚であり、恥ずかしい誤解である。自衛隊(と海保)の名誉のため、訂正しておこう。「絶対そう」ならない。対談から三年近く経つが、現にそうなっていない。
自衛隊への強い偏見
論証は以上で足りるが、念のため付言しておく。たしかに当時、一部の「保守」が自衛隊の尖閣派遣や部隊常駐論を唱えた。彼ら彼女らは全員、ジャーナリストや学者、文化人であって、現役自衛官でもなければOBですらない。
軍事や防衛には疎い人々が、「強硬論」ないし「理想論」を唱えただけ。それが現実にいかに困難かを説明して“慎重論”を唱えたのは、他ならぬ自衛隊である。われわれOBや現役の将官、佐官であった。
つまり、事実関係は正反対。完全な事実誤認である。「軍部」や「自衛隊」に対する偏見や蔑視が生んだ恥ずかしい誤解である。
自衛官に対する差別的な偏見は、今年も健在だ。拙著最新刊『護憲派メディアの何が気持ち悪いのか』(PHP新書)で指弾したとおり、岸井は今年三月八日放送の「サンデーモーニング」で、いわゆる「文官統制」を是正した安倍政権をこう誹謗した。
「総理大臣は最高指揮官なんですね。そうすると、軍人というのは命令に従う組織なんです。総理から言われたら、異を唱えるとか反対はできない。そういう組織なんです。それをチェックして『ちょっと待って下さい』と言えるのは文官しかいない。それを忘れてますよ」
3月6日の衆院予算委員会で民主党議員から「シビリアンコントロール」について答弁する安倍晋三首相。
後方右は中谷元・防衛相=衆院第1委員室(酒巻俊介撮影)
これもすべて間違い。総理は「内閣を代表して」(自衛隊法七条)指揮監督できるだけ。「内閣がその職権を行うのは、閣議による」(内閣法四条)。このた め、防衛出動には閣議を経なければならず、アメリカ大統領のような名実ともの「最高指揮官」ではない。また、自衛官は名実ともに「軍人」ではない。
許し難いのは後段だ。自衛官には服従義務があるが、文官なら総理の命令や指示を「チェックして『ちょっと待って下さい』と言える」らしい。岸井こそ重要な 事実を忘れている。行政権は内閣に属する(憲法六十五条)。総理は内閣の首長である(同六十六条)。「内閣総理大臣は、閣議にかけて決定した方針に基い て、行政各部を指揮監督する」(内閣法六条)。
岸井流に言えば、全省庁の「最高指揮官」である。
岸井が特別扱いする「文官」も、法的な身分は国家公務員。ゆえに、「上司の職務上の命令に忠実に従わなければならない」(国家公務員法九十八条)。それを「チェック」して「ちょっと待って下さい」など、違法かつ不忠不遜な服務である。
さらに岸井は、安保法制で各種の「事態」が乱立している現状を「言葉の遊び」と揶揄し、こう述べた。
「五つぐらいあるんですよ。新事態、存立事態とか武力行使事態とか周辺事態とかね」
「事態とは何かと言うと戦争なんです。戦時体制ってことなんです。武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。
だから言葉を変えようとするんですよ」
聞きかじりで知ったかぶり
バカらしいが、手短に訂正しておこう。岸井は、「集団的自衛権 事態がどんどん増える」と題した前日の三月七日付毎日社説を読んだのであろう。聞きかじりで知ったかぶりするから間違える。事実面での間違いに絞り、指摘しよう。
まず、岸井の言う「新事態」と「存立(危機)事態」は同じ概念である。そこから分かっていない。「武力行使事態」というが、そんな言葉もない。多分、「武 力攻撃事態」と混同している。悲しいかな、最後の「周辺事態」だけが実在するが、岸井が何と言おうと「戦争」ではない。「戦時体制」とも違う。
法律上、周辺事態で自衛隊は武力行使できない。「武力による威嚇」すらできない。それを「戦争なんです」と断じるのは、暴論ないし妄想である。いわんや、 「武器とか戦時体制って言葉を使いたくないんですね。だから言葉を変えようとする」との断定においてをや。もはや低俗な陰謀論にすぎない。
この日限りではない。前週の同番組でも、自衛官に対する差別的偏見が露呈した。
「以 前、防衛省を担当したことがあるんですが、中谷大臣の会見を聞いて『ああ時代が変わったな』と思いましたね。我々がいた頃は、まだ常識的に、非常に感覚的 にアレかもしれませんが、文民統制とそれを補充する文官統制は、戦前の軍部のドクセイ(独裁? 独走?)に対する反省、とりわけ日本の場合、非常にそれが 甚だしかったんで、それを担保するものだと感じてたし、また考えてたんですよね。
大臣は『まったくそうは思わない』っていうことですわね。そこは何でそういうことになってきたんだか。中谷大臣はアレ、自衛官出身ですから、ちょっとそういうとこあるかもしれませんけど。とにかくあの(以下略)」
きわめて差別的な暴言ではないだろうか。もし差別でないなら、「そういうとこ」とはどういうとこなのか、具体的に示してほしい。ついでに「アレ」の意味も教えてほしい。
「CIA陰謀説」はオフレコ
事実関係も承服できない。かつて防衛庁長官官房広報課(対外広報)で勤務したが、私がいた頃は右のごとき「常識」や「感覚」はなかった。正確と公正を期すべく付言しよう。
以上の問題発言に先立ち、司会が「歯止めがなくなる」と誘導したにもかかわらず、田中秀征(福山大客員教授)は「制服組のほうが慎重であるということも十分ありえる」「戦前の軍の暴走のようになるかと言えば、そんなことはない」と抑制。
西崎文子(東大教授)も、「必ずしも軍人が好戦的で文民が平和的だとは思わない」とコメントした。せっかく両教授が示した見識を、以上のとおり、レギュラーの岸井がぶち壊した。
本来なら当たり前の話だが、派遣されるのは当の自衛隊。自身はもとより、同僚や部下を危険に晒す。高いリスクに加え、コストも負担する。必要な予算を捻出せねばならない。
自衛隊に限らず、軍隊はいったん命じられれば粛々と任務を遂行するが、基本的に慎重姿勢となる。威勢がいいのは、たいてい文官や政治家。そうでなければ、決まってジャーナリストである。リスクもコストも負わない軽佻浮薄な人々である。
衆院本会議で民主党などが退席するなか安保関連法案が可決した=2015年7月16日午後、国会内
今年(二〇一五年)の終戦記念日、そのジャーナリストが集う「日本ジャーナリスト会議」で岸井が講演した。
《「戦争法案」は衆院で強行採決された。戦後70年を迎え、安倍政権は若者たちを戦場へ送る方向へ突っ走っている。その実態、危険性などについて、ニュースの最前線から岸井氏が解説する》(同会議公式サイト)
どんな連中を前に、どんな話をしたのか。聞かなくても想像がつく。念のため、講演録を検証しておこう。
「安保法制とは何か。いつでもどこでも世界地球規模、どこへでも自衛隊を出します、と。アメリカから手伝ってくれ、助けてくれと要請があった時には自衛隊を出すんですね」
「巻き込まれるどころじゃないんですよ。アメリカの要請があったら、積極的にアメリカがかかわっている紛争地や戦闘地域に送るんですよ!」
これを裏付ける事実は一切ない。平和安全法制(いわゆる安保法制)に該当条文はない。しかも土壇場の与野党合意により、
「例外なく事前の国会承認」が前提条件となった。ゆえに「アメリカの要請があったら」ではなく、「事前に国会が承認したら」が正しい。
岸井は以下の見通しも披瀝した。
「臨時(?)国会を延長と言いますか、先送りと言いますかね。この国会で一気に成立させないで、国民の反発が強すぎるから政権が倒れちゃうんじゃないの、それをやると、という判断がおそらく出てくるんだと思うんです。その空気は、いま自民党のなかにも芽生えつつある」
結果、そうならなかった。三つの野党を含む多数が賛成。通常国会で可決成立した。岸井は講演の最後をこう締めた。
「最 後に取っておきのオフレコです。安倍政治をずっと見ていて、思い出す言い伝えがある。「政権維持の三種の神器」。一がアメリカ、二、三がなくて四が財界、 五がアンダーグラウンド人脈。これは生きているんです。(中略)なかでもアメリカは飛び抜けている。トラブったり何か問題があったりしたら、政権は必ずや られる。田中角栄さんがトラの尾を踏んだと言って話題になりました。いまの安倍さんがやっていることを見ると、まさにそのとおり。三種の神器ですよ。
そして右派、右翼、アンダーグラウンドのフィクサーに続いている。また三種の神器が甦ってきたな、大丈夫かこれで、という気がします。(中略)
風向きだけでなく、やや潮目も変わり始めているのかな、だからメディアもジャーナリズムの役割も大きくなっている。そういう感じがしています」
バカらしいが訂正しておこう。結果、そうならなかった。風向きも潮目も変わらず、可決成立。護憲派メディアは惨敗。その役割を終えた。
最大の問題は、田中角栄に関するくだりである。低俗な陰謀説を「取っておきのオフレコ」と語る神経は正常ではない。前出『保守の知恵』を借りよう。
「アメリカの意志によって田中をロッキードで葬りさろうとした──そういう見方もあるが、俺の取材した中ではそうした事実はないし、これは一種のCIA陰謀説の一つだな」
こう語ったのは、他ならぬ岸井自身である。その二年後に、講演の最後を俗悪な「CIA陰謀説」で締める。これで生計が立つのだから、アンカー業とは気楽な商売だ。
②へつづく