引用します--- 春分の頃の新月の直後を元日とする。紀元前6世紀までは天文観察に基づいて作られ、春分の時期を正確に予測するため恒星 カペラの動きを観察していた。---
シュメール人は春分をカペラから知ったようだ。しかし
シュメールにはもとの春分を決めた観測施設も観測経緯も知られてい無い
始から春分を知っていたことになる。
当時春分を知っていたのは縄文人と考える。それは山と立地、配石遺構などから知られている。
牛石遺跡からお借りしました 春分頃の日の出
縄文人の二至二分の暦の知識を受け取ったのか、または縄文人自身だったのか。
やはり縄文人がシュメール行ったのだろう、シュメール人は縄文人だったものと考える。
その知識によりウバイド文化の農耕に絶大な影響を与えたのであろう。
引用ーーーーーー
シャマシュ(Shamash, ?ama?)は、メソポタミアの太陽神…
バビロニア暦(バビロニアれき、英語:Babylonian calendar)とはバビロニアなどの地域で使用されたメソポタミア文明の太陰太陽暦である。シュメールのウル第三王朝のシュルギ王(紀元前21世紀)が定めたウンマ暦を起源とする。
春分の頃の新月の直後を元日とする。紀元前6世紀までは天文観察に基づいて作られ、春分の時期を正確に予測するため恒星 カペラの動きを観察していた。
紀元前5世紀の初めより、19年が235ヶ月に等しいものとする周期を採用して作られるようになった。メトン周期の先駆とされる。
バビロニア暦の月名はバビロン捕囚の時からユダヤ暦に採用された。年の始まりを春分とする前提によっており、イラン暦のような太陽暦と共通する一方、同じ太陰太陽暦でありながら中国暦とは違いが見られる。
週の起源は陰暦1ヶ月を4等分するバビロニアの祭日によるともいわれる。https: //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%93%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%82%A2%E6%9A%A6
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メソポタミア南部に登場したシュメール人は、極めて謎の多い民族です。
この地域では、紀元前8000年頃には原始農耕が始まっていましたが、シュメール人はそこから発生した民族ではなく、いきなり何処からかやってきた人達なのだそうです。そして、その後何処に行ったのか不明なのだそうです。
彼らの楔形文字は、周辺の土着の民族とは明らかに違う言語であり、民族系統は未だに不詳です。
興味深い事に、このシュメール語、実は日本語と同じ膠着語に分類されている