縄文時代中期頃には 3波状突起口縁の土器の存在が見える。
神秘数 3 、聖なる数 3 とは
二十四節気の暦の存在を示すものであると考える
2024.11.24 ここでは理由を示せなかったが、その後の検討から、月のこよみが20000年前頃には広域交流のため成立していて、早期に太陽暦が開発されて、月のこよみと太陽暦を併用していたことから、この二つを統一する必要があったものの、統一するためには、数学の知識が必要であり、それが可能となるまでには中期までの時間経過が必要だったものだろう。ここに於いて正確なカレンダーが成立したものと考える。月の満ち欠け 月齢を曜日として、太陽暦に整合させるものである。縄文時代以来現代でもそのレベルに達していない。それは現代のカレンダーは月齢を示すことが出来ていないことから明らかである。月の満ち欠け周期も30日としていないことでも。
縄文時代早期には 4,6波状突起口縁の土器が作られて、4、6 の数を記録していた。
4は二至二分の暦、または四立 八節の暦を示すものと考える。
最初はこのようものだった
縄文前期には 8波状突起口縁の土器が作られていた
これは四立 八節の暦の成立示すものと思う
4波状突起口縁の土器の突起は縄文中期になると
この変化は突起の装飾造形の内容から見て
四立 八節の暦の成立を示すものと考える
その後さらにこのような突起に変化していた
これは神秘数の複合を示しているものと考える。
4と3、6と3、6と8など
写真はお借りしました