金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

六十進法の起源は何からなのか

 2022.03.09 補足して追加しました。

60進法は、メソポタミアのシュメール文明で4500年前頃、発明されたとされているが
その元になるもの 6、10 の起源が不明とされているようだ
これに対して、縄文時代の早期には、6、4 の波状突起口縁の土器を作り
この数を書き残していた。これは7500年前になるようだ。

この年表を縄文時代に当てはめると、世界文明の開始は何れも縄文中期頃に相当することが分かり、早期、前期はそれよりかなり早い時期 4000年ほど前の時代である。

 

シュメール文明の 6 の起源はこの縄文時代に有るのでは無いでしょうか。
6 は半年183日の月の満ち欠けになる。
縄文時代の早期には 2波状突起口縁の土器を作っていて、二至 183日+182日の一年の日数を知っていたと考える。


月の満ち欠けは約30日  183日/30日  6回
この事を知り、祭祀土器に 6波状突起口縁の土器として記録していたことで太陰暦の存在を示していたことが知れる。

 

 

縄文前期にはストーンサークルが作られていたが、その示す方位は聖山の方向で、日の出方位など、暦を示すようなものでは無いようだ。これは既に太陽暦が成立していて、それを用いて祭の日を決め、行われていたという社会が存在していたものと考える。聖山に向けての祭は、縄文人の精神生活の高度な状況を示しているものと考える。
太陽暦の存在は 4 波状突起口縁の土器の存在が示していることから知ることが出来る。
これは二至二分、さらに四立 八節の暦 四季の始まりの区分 の存在を示しているのだろうと考えている。

その際の太陽祭祀の祭祀土器が以下のようなものと考える。

 

 

写真と図はお借りしました

引用ーーーーーー

六十進法
古代メソポタミアに発達したスメル文明は60進法に基づく整然たる度量衡制度を持っていました。その精緻な体系はエジプトにわたり、またバビロニアやアッシリアを経由して古代ギリシャ文明にも継承されました

六十進記数法とは、60 を底とする記数法である。真の六十進記数法は60種類の数字を必要とするが、それは多過ぎるため、実際には各桁を十進法で表す方法が普通である。
シュメールおよびその後を継いだバビロニアでは六十進法が用いられた。これは、60 が 2, 3, 4, 5 の最小公倍数であるために約数が多く、除算に便利だからだとされる。

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# 精密機器
時計は、実は非常識の塊だった
文字盤からして不思議なことだらけ   織田 一朗 プロフィール

実は、最初に日時計が使われた時代に時計をつくる文明をもっていた民族は、すべて北半球で生活していたからだったのだ。文明が進み各地で時計の製造は始まったが、その段階で南半球の人々は、改めて「時計の針を左回りにしよう」と主張することもなく、北半球で完成された文字盤をそのまま受け入れたのだ。

時だけはなぜ、12進法・60進法なのか
学校教育で10進法をたたき込まれる現代人にとって、時間の12進法・60進法は若干の違和感を覚えさせる。使い慣れない単位で、他にはあまりない単位だからだ。では、なぜ、時間にこのような計量単位が採用されたのだろうか。

計量の歴史を調べると、古代の人々は身体の部位を基準にして計量の単位を築いている。指を折って数を数えただけでなく、身体の部位をモノサシに使っていたのだ。

“分”“時”“日”の時間や角度の測り方は、紀元前15世紀ころにチグリス・ユーフラテス流域で生活を営んでいたバビロニア人によって体系化されたと伝えられている。
角度の1度を円周の360分の1とする考えは、1日を約360倍すると太陽が天空の中で1周するのに要する時間(1年=365日)になることを基礎にしているようだ。

古代から、人類は月の満ち欠けが約30日のサイクルで繰り返され、それが12回続くと再び同じ季節が巡ってくることを経験的に学んでいた。
バビロニア人は太陽が地平線に顔を出し始めてから、完全に姿を現すまでの時間(約2分)を1つの基本単位とすると、720個分(=12×60個分)で1昼夜が経過することにも気がついていた。したがって、天文の分野では12や60が重要な数字として認識されていたのだ。

また、当時のバビロニアで使われていたシュメール数学では、数の多い単位の区切りとして12進法や60進法が多用され、1より小さなものを表すのに60分割することも行われていた。

シュメール数学とは、バビロニアの前にこの地で文明を開花させたシュメール人が編み出したものだ。シュメール人自体はもともと移民としてバビロニアに移住したもので、祖先はよく分からないのだが、温和な民族で根気強く、湿地帯を乾かし農耕の習慣をつくり、貿易を発展させた。

都市には壁を築き、車輪のある乗り物まで使っていた。さらに、くさび形文字、ろくろ、数式、最初の法律、踏み車、ブランコ、ハンモック、ボールゲームなども発明している。

シュメール人が12進法や60進法に固執した理由はまだ完全に解明されていないが、親指を除く手の指の関節が12本あることを利用して数を数えていたという説がある。

一方の手の指を折りながら10の単位を数え、もう一方の手の関節で1の単位を数えると、60までカウントできる。しかも、12は、2、3、4、6の倍数、60は2、3、4、5、6、10、12などの倍数だ。角度に使われる360も約数が多く、さまざまな場面に利用できるので便利だったためではないか、と推測されている。

年と日が12進法で、時間と分が60進法で組み立てられることによって、1年間を秒に換算すると、60秒×60分×24時間×365日で、3153万6000秒となる。

現代の数学から判断すると進法に一貫したルールがないために不合理に思えるのだが、古代バビロニアで暦や時間体系を決めるにあたっては、数学、天文学、占星術など当時のあらゆる学問、知識を総合的に考えて決定されたのだろう。

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シュメール人はなぜ六十進法を用いたのか
2013年2月5日2021年7月11日
https://www.nagaitoshiya.com/ja/2013/sexagesimal/
永井俊哉ドットコム 

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