奈良市佐紀盾列古墳群のマッピング。
平城宮跡の北側一帯の丘陵地に造られた、約50基もの大規模古墳群の総称が佐紀盾列古墳群で、西北の五社神古墳から東の宇和奈辺古墳までをさすようだ。
これらの古墳は何れも前方部を南に向けていて、後円部が北に置かれていることから、ほぼ南北方位を取っていたようだ。
百舌鳥古墳群や古市古墳群などの東西方位とは異なっている。
また、纏向石塚古墳や河内大塚古墳などまた越前でも、前方部を目標に向けていたが、前方後円墳に対して後円部を対象の北に向けていた、ということから前方部の使い方が逆になったのだろうか。
大塚古墳 上
佐紀盾列古墳群はチャイナの南北方位の思想が入っている事を示す。縄文以来の東西、太陽祭祀とは異なるし、纏向での最初の纏向石塚古墳の前方後円墳の考え方とも変って来たように見える。