金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文時代からの太陽暦開発の歴史

金生遺跡・大配石での日の出 太陽観測により、4500年前の暦は現代の太陽暦に一致していることが判明した。このことから世界標準時は、1675年: グリニッジ天文台 (Royal Observatory, Greenwich) 設立。このグリニッジから4500年前まで延長できることが分る。


この間に太陽系にある地球の自転と公転とは変わっていないと考えることが出来る。
縄文時代には、4500年以前からの暦開発の歴史は、波状突起口縁の土器に記録されていた。
それから考えられることは、土器の記録を解読することにより、縄文早期まで延長できるかも知れない。

古代文明の何処も太陽暦の歴史は見えない、太陽直接観測の遺跡も見えていない。
時代的に見て、太陽暦は列島から、世界各地に伝えられて、利用されたのではないだろうか
世界各地では星を見て太陽暦を作る様子が見えていた。
太陽暦を作るのに何故星を見るのか
星からでは地軸の変動が避けられないのに、シュメールの暦でさえもそれをカペラを利用して太陽暦の基準を作っていた。
エジプトではシリウスにより太陽暦を作り、大洪水の予測に利用していた。
太陽暦を作るのに何故シリウスからなのか。
こうした経緯から見て太陽暦の基本情報が何処からか伝えられたものを、それぞれの文明が利用していたに過ぎないのでは無いか。自分たちで開発したものでは無いため、太陽の観測による太陽暦の作り方の基本を知らないとしか考えられない。
縄文時代の金生遺跡と同じように観測すれば何の問題も無く正確な太陽暦は作れる。
4500年後の今も正確に太陽の動き、地球の自転と公転 が捉えられている。


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