金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

波状口縁の土器

関東平野は縄文海進で、好漁場の内海が生まれ、豊富な海産物に恵まれたものだろう。
潮の満ち干の影響を強く受けるため、それを知るため太陰暦が作られた。
これはシュメールと似た環境だったと思う。

波状口縁の土器が作られ、6波状口縁の土器が作られたのだろう。
これは月の満ち欠けとしては、冬至~夏至までの半年一年暦としていたのだろうか。

さらに潮の満ち干の影響を細かく知るためには 12波状口縁の土器も作られていた。
6突起と小さい6突起で、これは半年12弦の暦を表すものかと考える。

写真はお借りしました


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