飛鳥京の成立までの想像をしてみた
方位の設定を元に、時代順で見て行くと
先ず斑鳩の里はシリウス方位で作られた
これは最後の古墳、丸山古墳の前方後円墳の方位と同じである。
斑鳩から飛鳥までの道もまたシリウス方位で作られていた
飛鳥京でも最初期にはシリウス方位の寺も有ったが
法興寺が正方位で作られてからは、その後のものは正方位で作られたはず
難波の四天王寺も法興寺の後から正方位で作っていた
若草伽藍はその後正方位で建て直されて法隆寺となった
飛鳥京の正方位の考え方は、隋からの知識で先ず法興寺が正方位で建てられて、
飛鳥京の方位が決まったものと見える。
飛鳥寺はその後、仏教隆昌の中心地になっていったことからも京の中心施設であり
当時の日本における仏教教学の研究機関としての機能を有した唯一の寺院として継続されたようだ
このように飛鳥京は正方位の京となっていたが、飛鳥寺の位置は、石舞台古墳、都塚古墳の聖方位のライン上にあるとする人が居た。
図はお借りしました