金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

縄文時代の暦と波状突起口縁の祭祀土器

縄文時代の土器

    投稿数が多くなりましたので、数は増やさないために、
    内容を加えて成長させて行くことにしました。


縄文時代 草創期の土器をじっくりご覧ください

以下のこのチラシは、土器の写真がありましたので掲載しています、本文と内容的にも意図的にも関係はありません。特に縄文土器の特殊性を示す波状突起口縁の土器が含まれていません。これこそが縄文人の文化 思考を示す大切なものであるのに、示されていないと言うことはどういうことなのでしょうか。   2022.04.30 追加補足しました。

 


縄文時代草創期にこのように完成度の高い土器を作り出していた。
土器として使用するのに現代人から見れば、用途を色々考えたら利用しにくいと感じても、
この姿形を少し変えてゆけば、様々な用途に使用するのに困ることは無さそうに思う。
ところがその後縄文時代の人々は思いも掛けない姿形に変えていた。一例はこれ

 

何故このようなものを作ったのか
このようなものは遺跡から発見される土器の中の僅かに2%程度だと言います。
98%はこのような特別な土器では無いようです。普段利用する土器はこのように展示されて見ているようなものではないのです。

これが縄紋土器と展示されている土器を見た後に、これを見ても余り面白いものとは思えません。
各地の郷土館の倉庫の中にはこのように草創期に見た土器に近いものが保管され、段ボール箱の中にも膨大な量が積み重ねられたままにと想像しています。日用品としての土器このようなものだったのでしょう。弥生式土器の時代とも余り変わらないもののように思います。

素晴らしい縄紋土器というのは、縄文時代に行われていた祭の為の土器、祭祀土器の変遷を見せられていたと言うことのようです。
お祝いのための特別製の土器 祭具
それは実用とは関係ない形態でも問題ないです


縄文時代 早期の祭祀用土器
6波状突起口縁の土器

 

4波状突起口縁の土器

これらは何を祝うためなのか何を祀るためなのでしょうか

これは幼児でも分るものです、4と6という数であることは明らかです。
縄文時代早期には、この数を書き残してくれていたと言うことになります。
しかしこの数字以前にも記録を残していたと考えています。
それは 2です。

 

縄文時代早期に数字を書き残しているのに何故かそのことが云われていません。
土器の模様に関しては様々な解釈がされています、それは余程頭の良い人にしか分らないような複雑なもののようで、幼児でも分るレベルのものとはかなりの格差があります。それほど高度な縄文人ですから、幼児が分ることなど何でも無いでしょう。

3.縄文時代 前期の土器

 

祭祀用土器の進化

 

早期のような変化では無い、装飾性が大幅に上がったように見える
このことから祭祀内容が大きく変化したように見える
祭祀内容の深化

4.縄文時代 中期 土器

4波状突起口縁の土器は、突起が特別に飾り立てられているように見える。

 

         縄文時代中期には 3波状突起口縁の土器が現れていたようだ。

この時期に太陽暦と太陰暦のシンクロさせることが完成したと考える。

 

 

世界文明と縄文時代の対比 年表

 

 

5.縄文時代 後期
6.縄文時代 晩期 合わせて

ここ以後 3波状突起口縁の土器が沢山現れています。なんでこの時期に 3突起土器なのでしょうか。

 

暦進化の最終形
次のような土器は壊れても繋いで補修し大切に継承されていたようです。
5 波状突起口縁の土器  七十二候のカレンダー

     補修して繋いで使用継続


7 波状突起口縁の土器  一週間7日のカレンダー

模様などは大分簡素化されてきている様子です。

 

写真はお借りしました     2022.02.07  投稿初稿

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