金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

エデンの園とはシュメール文明

初稿 投稿 2021.07.27

シュメールという場合、
ウバイド文化以降、紀元前4,000年頃にはじまった「ウルク期」から、
「ウル第三王朝時代」が滅びた紀元前2,000年直前までをいいます。

日本の三内丸山遺跡がちょうどこの頃で、6,500年~6,000年前くらいの縄文時代前期中頃にはじまり、縄文中期末の2,500年前くらいまで続きました。

このような縄文時代に、好戦的なシュメールの痕跡がひとつでも残っているかというと、まったくの正反対です。
ということのようですがどうでしょうか。

   シュメール文明  SUMERIAN  石川源晃著 よりお借りしました

引用ーーーーーー
 この古代シュメール人のジャルモ遺跡から西へ 約1600キロ離れたエレサレムのエリコ遺跡には、約一万年前の戦争の痕跡を残す焼けだだれた二重の城壁の遺跡が発見されていますが、 城壁も掘割もなく戦争の痕跡もない古代シュメール人のジャルモの平和生活の遺跡は印象的です。エデンの 園の伝説は戦乱にあけくれたエレサレムの人々が東方のメソポタミアの古代シュメール人の平和な生活を うらやんで作った物語といわれています。 

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2023.06.30 追加しています

 メソポタミアのジェムデット・ナスル期に、シュメール都市文化が各地に伝播していく。1920年代に、バビロンの北東40kmにあり、ジェムデット・ナスルJamdat Nasr遺跡(イラク中央部、バビロンの北東)の発掘調査が行われた。1930年、バグダッドの会議で、メソポタミア南部,すなわちバビロニアのジェムデット・ナスル遺跡を標式とし、メソポタミアの時代区分に組み込まれ、ウルク期と初期王朝時代の間に挿入された。その後、イラク中南部の遺跡群、アブ・サラビク・ファラ・ニップル・ウル・ウルクなどでもジェムデット・ナスル期の特徴が確認された。 

 ウルクの遺跡の周囲は、10kmに及ぶ大都市国家であった。約4000年の歴史をもつ。ギルガメシュ叙事詩の英雄の故郷である。楔形文字の最古形である絵文字が刻まれた「古拙文書」が多く発見された。この原文字の時代はウルク期と呼ばれる。
 ウルクにあったイナンナのための神殿名は「エアンナE-ana」、「天(アヌ)の家」の意味である。イナンナのシュメール語の別名は「エデンの女主人nin-edin」、「エデンのイナンナInanna-edin」であった。彼女の夫であるドゥムジのシュメール語の別名は「エデンの主mulu-edin」であった。
 「エデン」とは、「聖なる園」の意味である。BC2600年~BC2500年頃、メソポタミアにおいてラガシュと、その北隣りのウンマが「グ・エディン」もしくは「グ・エディン・ナ」という肥沃な土地をめぐって戦争を繰り返していた。その地が旧約聖書『創世記』の「エデンの園」のモデルとなった。
 In Sumerian the word “Eden” meant simply “fertile plain”.
 Sumerian とは、シュメール(人・語)の...、fertile plainは、沃野。

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12は太陽と月という二大天体の関係を規定する数字。
六十進法は、人間の秩序(10)と神の秩序(12)、地上の周期(10)と天の周期(12)、十進法と十二進法の調和(最小公倍数)を意味しているのかもしれません。
ちなみに、黄道十二星座や黄道十二宮もシュメールが起源。
黄道(天球上における太陽の見かけの通り道)を12に分割し、毎月太陽が通過する12の星座を割り当てました。
12は一年のみならず一日も黄道も12分割していたことからもわかるように、シュメールにとって重要な数字。
++++そうなのか 月の周期から来ているのか

今日にいたるまで、欧米語では12 まで固有名を与えています。(one、two・・・eleven、twelve)
フィートやダースなど十二進法の度量衡が使われていますが、これもシュメールの影響。
英米では、十二進法を採用するよう主張する少数の人々がいます。
人間の指の本数から派生した原始的な十進法より3分割4分割できる十二進法のほうが理にかなっているとされるためです。
なお、十進法以外の採用を進めようという主張は、近年では、コンピュータの二進法との相性から、八進や十六進についても主張されています。

また、週の日数である7という数字の起源もシュメールの影響。月の周期と関係があります。
新月・上弦の月・満月・下弦の月が一つのサイクルとなり、その変化の間が約7日、これが4回あるので、一ケ月は28日です。 

シュメール人は、最初に半月(上弦の月)になる月の七番目の日を祭日にし、ヘブライ人(ユダヤ人)も七番目の日を休日とし、ここから日曜日に休む習慣が生まれました。
のちに、主要天体が太陽と月と五つの惑星(火星、水星、木星、金星、土星)の合計で7つあることがわかると、7という数字はさらに神聖視されるようになり、それぞれの日に守護星をつけます。

各曜日の名前に七つの天体(七曜=日月火水木金土)の名前を対応。この7日を一つの単位とするのが一週間で、上記のような曜日というものが考え出されました。

ちなみに、旧約聖書に出てくるヘブライ人(ユダヤ人)の始祖アブラハムは、元々はシュメール人だったようです。

シュメール世界最古の文学(歴史?)『ギルガメシュ叙事詩』に『旧約聖書』と対比される部分を大英博物館修復員ジョージ・スミスが発見。

旧約聖書由来のストーリーは、シュメール神話をベースにしている可能性を指摘。

特に、創世神話、エデンの園、大洪水(ノアの箱舟)、バベルの塔、そしてニムロドやリリスといった人物にその類似性が顕著。

この発見と発表は、大きな旋風を巻き起こし、有名になりました。
旧約聖書は、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖典。
旧約聖書はオリジナルだと信じていたユダヤ人は大ショックゲッソリ
シュメールの宗教も旧約聖書を通じて現代の世界に支配的な影響を与えているといえます。

数学、天文学、度量衡など高度な知識を持つ謎の多いシュメール人。
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…キリスト教会が「東向き」というのは、ヘブライ民族史のエホバ以前の時代から、「東」という方角に意味があったらしく、非常に古代の時代の「旧約聖書」「新約聖書」など以前からある古代宗教の教会のような建物の時代から、そう決まっていたようなので、イスラム教のモスクのように「メッカの方角」に向けるように、「エデンの園の方角」に向けて建てるというよりも、「東」という方角が正しいようです!

…中国では、仏典のあるインドが南だった為に、「南が上側」です。
これは、日本の古い「子丑寅・・・」の和時計とか「方角」の読み方や、解読をする時に気を付けなければいけない事なのですが、日本では、北が上ですが、中国では、この「子丑寅・・・」の方位板も「南が上」です!
これは、様々な事に影響してくるのですが、日本語で「指南」すると言う語源が、どうも、この古地図全体に関わってくる問題のようです。
「指南する」とは、主に「人に教えたり、導いたりする事」の意味ですが、「なぜ?漢字で、”南を指す”という方角を示す事」が、そのような意味を持つのか?というと、インドが南にあるからというのと同じなのですが、語源は、古代中国の「からくり機械」の「指南車」という車のようです。
…中国では「仏典のあるインドの南を指す事」が「人を導くという意味合いの”指南”という言葉の語源になっています。」

これは、ヨーロッパでも、まったく同じであって、「指南」の英語訳は、(orientation)ですが、これの意味は「東に向ける」=「指導する」です!
ちょうど、同様にして「東」の(orient(オリエント))が語源なのです。
…「固定した位置で、ずっと国家のあった、中国」と、「放浪の民となって、憶測や、あやふやとなってしまったヘブライ人の伝承」の違いです。
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「TO地図」という物は、ちょうどアルファベット文字の「T字」「O字」の形を組み合わせたような「概念地図」であって、ちょうど「道路標識」のように見えます。
キリスト教の世界感の古地図としては、「TO地図」と呼ばれる物が多く、これが「中世ヨーロッパ」までの教会で多く使われた物です。
これは、「地理的な状況は、大幅に無視されて、キリスト教の宗教概念図で描かれています。」
特徴は、
(1)東が上(エデンの園がある方向なので)
(2)中心が、エルサレム
で、この2つは、丸い円で囲まれていたり四角で囲われていたりします。
日本にあるギリシャ正教の「日本正教会」では、教会が東向きの説明を「太陽が昇る方向だから」と説明していますが、これは、たぶんギリシャ人の世界感のアポロン信仰の「太陽神信仰」からのはずで、イギリスの英国教会をはじめ、ほとんどの国の教会の説明文では、「東向きなのは(エデンの園がある方向なので)」と説明されます。
++++そうなのか 日本はもっと東
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その当時には、「古代ギリシャ」のあるヨーロッパ以外の場所は、よく交易のあった、海の向かい側のクレオパトラなどのエジプトと、ナイル河の話題とか、それとは別の方向の大陸は、全部「アジア」でした。
なので、「T字」のど真ん中は、「地中海」であって、左側は、ギリシャを囲む「エーゲ海」、右側は、古代ギリシャ人達は「ナイル河」と思っていたのが、中世ヨーロッパなどになって探索が進むと「紅海」というのが記述されたりして、いろいろごちゃごちゃで無秩序になってきます。
根本の古地図は、そもそも「ヘレニズム時代」+「古代ローマ時代」に行き着いた場所のみが「円形の内側」に入っていて、大きく「T字」で、「アジア、ヨーロッパ、アフリカ」を分けた形です。
この「円形の内側」の範囲のまま、どんどん歴史が進むにつれて、探検でわかった地理情報を書き込んでいった為に、無秩序で、わけのわからない古地図になっていきます。
1番の問題は、キリスト教概念で動かせない位置の物は、そのままにしてしまったので、「1番上側に、エデンの園(paradise)」と書かれたまま動かしていない(動かせなかった)事です。
どうも、この為が原因で、ちょうどこの位置にあるのが、世界の東の果てにある「黄金の国ジパング」だったようで、それで、マルコポーロなどが大冒険に出かけたり、あるいは、この「ヘレニズム時代の大陸の東の果て」は「インド」だったので、「インドを探そうと思って、コロンブスが世界を逆に周って、1番遠い道のりで、アメリカ大陸を発見したりしたわけです。」
また、ヨーロッパの画家のゴーギャンなどが「パラダイス」を求めて「タヒチ」に渡ったりしたのも、どうも、ここら辺が原因のようです。
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また、キリスト教会が「東向き」というのは、ヘブライ民族史のエホバ以前の時代から、「東」という方角に意味があったらしく、非常に古代の時代の「旧約聖書」「新約聖書」など以前からある古代宗教の教会のような建物の時代から、そう決まっていたようなので、イスラム教のモスクのように「メッカの方角」に向けるように、「エデンの園の方角」に向けて建てるというよりも、「東」という方角が正しいようです!
これは、例えば、日本で言えば、キリスト教会を「エデンの園向き」に建てれば、「西」向きなど「逆」になるわけですが、そういうのは逆に良くないようで、「東向き」という「東」の方角自体に意味があるようです。

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月の神 シン…
シン (Sin) は、古代メソポタミアで信仰された月の神(男神)。シンはアッカド語の名前であり、シュメール語ではナンナ (Nanna)。「ナンナ」はアッカド語ではナンナルと呼ばれる 。
シュメールではナンナの子は太陽神ウトゥ(英語版)と金星神イナンナとされ[5]、アッカドではシンの子は太陽神シャマシュと金星神イシュタルとされた[3]。
金星神イナンナ…(エデンの女主人)…
イナンナ(シュメール語: ??、翻字: INANNA、音声転写: Inanna)は、シュメール神話における金星、愛や美、戦い、豊穣の女神。別名イシュタル。ウルク文化期(紀元前4000年-紀元前3100年)からウルクの守護神として崇拝されていたことが知られている(エアンナに祀られていた)。シンボルは藁束と八芒星(もしくは十六芒星)。
花瓶に描かれたイナンナhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%8A
呼称
その名は「nin-anna」(天の女主人)を意味するとされている[1]。
ウルクにあったイナンナのための神殿/寺院の名は「E-ana」(エアンナ、「天(アヌ)の家」の意味)であった。
イナンナのシュメール語の別名は「nin-edin」(エデンの女主人)、「Inanna-edin」(エデンのイナンナ)であった。彼女の夫であるドゥムジのシュメール語の別名は「mulu-edin」(エデンの主)であった。
アッカド帝国(en)期には「イシュタル」(新アッシリア語: DINGIR INANNA)と呼ばれた。イシュタルはフェニキアの女神アスタルテやシリアの女神アナトと関連し、古代ギリシアではアプロディーテーと呼ばれ、ローマのヴィーナス(ウェヌス)女神と同一視されている[2]。
神話のなかのイナンナ
系譜
イナンナは系譜上はアンの娘だが、月神ナンナ(シン)の娘とされることもあり、この場合太陽神ウトゥ(シャマシュ)とは双子の兄妹で、冥界の女王エレシュキガルの妹でもある[3]。夫にドゥムジ(英語版)をいただく。子供は息子シャラ(Shara, ?ara, シュメール語: ??, d?ara2, d?ara)。別の息子ルラル(Lulal)はウトゥの女祭事(神官)ニンスンの息子ともされている。
エンキの紋章を奪う
メソポタミア神話において、イナンナは知識の神エンキの誘惑をふりきり、酔っ払ったエンキから、文明生活の恵み「メー」(水神であるエンキの持っている神の権力を象徴する紋章)をすべて奪い、エンキの差し向けたガラの悪魔の追跡から逃がれ、ウルクに無事たどりついた。エンキはだまされたことを悟り、最終的に、ウルクとの永遠の講和を受け入れた。この神話は、太初において、政治的権威がエンキの都市エリドゥ(紀元前4900年頃に建設された都市)からイナンナの都市ウルクに移行するという事件(同時に、最高神の地位がエンキからイナンナに移ったこと)を示唆していると考えられる。
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 ジッグラトと呼ばれる階段型ピラミッド(聖塔)を中心に、巨大な都市国家を展開した。また、農耕の面でも肥沃な大地・整備された灌漑施設・高度な農耕器具により単位面積当たりの収穫量は現代と比較しても見劣りしなかったという。さらに、旧約聖書との関連も指摘されており、始祖アブラハムはメソポタミアの都市ウルの出自とされている。エデンの園はメソポタミアの都市を、バベルの塔はジッグラトを、ノアの洪水は当地で突発的に起こる洪水を元にした逸話と見られている。
 メソポタミアの土地は肥沃であったものの資源が非常に少なく、金属資源や木材・石材といった基本的な資源さえ不足していたため、周辺地域との交易によって資源を確保することが不可欠であった。貿易の交易範囲は広大で、エジプト文明やインダス文明と交易があったことも史料により明らかとなっている。

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 ウルクの遺跡の周囲は、10kmに及ぶ大都市国家であった。約4000年の歴史をもつ。ギルガメシュ叙事詩の英雄の故郷である。楔形文字の最古形である絵文字が刻まれた「古拙文書」が多く発見された。この原文字の時代はウルク期と呼ばれる。
 ウルクにあったイナンナのための神殿名は「エアンナE-ana」、「天(アヌ)の家」の意味である。イナンナのシュメール語の別名は「エデンの女主人nin-edin」、「エデンのイナンナInanna-edin」であった。彼女の夫であるドゥムジのシュメール語の別名は「エデンの主mulu-edin」であった。
 「エデン」とは、「聖なる園」の意味である。BC2600年~BC2500年頃、メソポタミアにおいてラガシュと、その北隣りのウンマが「グ・エディン」もしくは「グ・エディン・ナ」という肥沃な土地をめぐって戦争を繰り返していた。その地が旧約聖書『創世記』の「エデンの園」のモデルとなった。
 In Sumerian the word “Eden” meant simply “fertile plain”.
 Sumerian とは、シュメール(人・語)の...、fertile plainは、沃野。

 ラガシュも、古代メソポタミアの都市であり、また、その都市を拠点とした領邦都市国家である。シュメール初期王朝時代(BC2900年頃~BC2350年頃)に繁栄し、現代にメソポタミア最大級の都市遺跡を残している。初期王朝期III期(BC 2600年頃~BC 2350年頃)の中葉には、ギルスGirsu(現;遺跡名テルローTelloh)・ラガシュLagash(現;ヒバal‐Hiba)・シララSirara(現;スルグルSurghul)・グアバGuabba(現名不明)の主要4都市がラガシュ領邦都市国家を構成していた。ギルス・ラガシュ・シララは運河により繋がり、グアバはこれらより数10km離れていた。主王宮はギルスにあり、領邦都市国家ラガシュの首都であった。

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聖書の元ネタはシュメール神話!?
旧約聖書のなかに「エデンの園」や「ノアの方舟」があるのは知ってる人も多いのではないでしょうか。
この「エデンの園」や「ノアの方舟」こそ、シュメールの神話なのです。
旧約聖書の創世記は、このシュメール神話を模倣して作られたと考えられます。
それでは、共通点を見ていきましょう。
エデンの園
最初の人類であったアダムとイブ(エバ)が居住していたエデンの園。
知恵の木の実を食べたことでヤハウェの怒りを買い、エデンから追放されるという物語だということはみなさんも知っているでしょう。
「エデン」と聞くと楽園をイメージしてしまいますが、実は「エデン」は、シュメール語で「平らな土地」を意味しています。
はっきりと「エデンの園」がどこにあったのかはわかっていませんが、メソポタミア地方の平地にあったのではないかと言われています。
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旧約聖書(ユダヤ教)
●バビロニアとヘブライ
 ヘブライ人の祖先はカルディア人であったようで、カルディア人の暦をそのまま使ったようです。  神学の本を見ますと「旧約聖書とカルディア神話」を比較した考察をよく見かけるのですが、 「両者は関係あるかも知れない」という立場をとっているようです。
 例えばアダムとイブのいた「エデンの園」は現在の「クエート」であるとか、 「バビロニア」を指すなどと言われております。 この時代に生まれた宗教は、似たお話が沢山ありまして、 お互いにある程度他の宗教を取り入れた形跡があります。

 もう1つの例では「ノアの洪水」に見られますように、洪水伝説は各地に見られます。 これを天文的には地中海に巨大隕石が落ち、大津波が発生したのではないかと言う説があります。

 有名な「バベルの塔」の話があります。人間は神に近づくため高い塔を作りましたが、 何と高慢な人間達だと神の怒りを買い、バベルの塔を破壊して、二度と人間同士が協力できないように バラバラの言語にしてしまったお話です。 このバベルの塔はバビロニアにあった「ジグラッド」ではないかと言われる説がありますが、 「ジグラッド」というのは、バビロニアでは現在で言う「祭壇+天文台」のようなものでした。


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