数認識の始まり
数認識の必要性とは何だったのか
原始時代の数認識に関しては次のような話がされている。
図
「縄文土器の研究」に述べられた小林達雄などに依れば
原始からの数認識は1~3まで程度、せいぜい5までなどのレベルとされている。
指は1-5まで、両手で10
それに足指を加えて10+10 20
その他にも色々加えてと言う考え方もあるが
50とか100にはとても達し得ない。
月が変化する日数は30となるから、30まで数えることは
必要性がある。この30と言う数は必要となる目安となるのでは無いか。
しかしこのレベルでは数の必要性はそれなりに止まってしまう。
それ以上の大きな数が必要とされることは、一年の日数である。
図
30を遙かに超えて、大きな数を必要とする数認識の目安は一年の日数だったのでは無いか
とはいっても、一度で365日を数え上げるというのは、とても無理だったのでは無いか。
そうであればその半分、180日としてもとても無理では無いか。
180でも大きすぎるとすれば、その半分の90日となるのだろうか。
両手の20から90日は少しハードルが高すぎる。
とすればその半分 45日となれば考える範囲に入ってくるのでは無いだろうか。
30、45というのが原始人にとって数認識を始めるためには最初のターゲットとなっていたのでは無いか。
この必要性から数認識は始まっていたのでは無いだろうか。
縄文時代12000年前からの数認識の始まりはこにあったと考えて良いのでは無いか。
文化史年表を示して年代を見てみると
図 文明史年表
縄文時代の数認識の始まりとは、人類、ホモサピエンスの数認識の始まりと考えて良いのでは無いか。
太陽暦作り、月のこよみ作りが人類の数認識の始まりであり、それが数認識のレベルを高めてきた始まりだったのでは無いか。
縄文時代は石棒を作り、地理的に日本列島は山が多く、太陽観測にはうってつけの土地だったと考える。
図はお借りして補足しています