金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

栽培種の成立

栽培種成立までの各地域比較

栽培種成立までの要した時間は
こよみの存在が影響を与えていたのでは無いか
「500万年のオデッセイ」からの情報を元に考えて見た

縄文時代は無文土器から始まった
無文土器は原種マメ類の採集のため
目漏れしない容器を必要としたことから
17000年前頃から土器が作られることになったものと推定している

その後マメ類を栽培する方法を自然観察から会得して
原種マメ類の栽培を始めたものと思う
これは画期的な事柄であり、栽培がある程度分かりその事を豆粒文土器として記録していた
この時期が15000年前頃の事ではないかと考える。

土器の記録から早期にはカレンダーが成立していて
栽培種は縄文前期には成立することで集団居住の拡大や土器文化が変化した
その間早期末には鬼海カルデラ噴火などが起こり列島は大変動が起こった


そして縄文前期半ば頃には栽培種が成立する、それは6000年前頃なのだろうか
カレンダー成立から2000-3000年後では無いかと考える。

アメリカ大陸では農耕開始までに5000年ほど掛かっていたという。
ここにはこの時期、太陽暦観測の遺跡は存在していたのだろうか、
独自にカレンダーを開発したのか、または
縄文地域からのカレンダーの知識が伝わっていたのだろうか


西アジアでは小麦などの栽培開始から農耕開始までは2000年ほどだったとされている
年代的に見て、西アジアには東アジアからカレンダーの知識も土器製作の知識も、また印章作りの知識も
伝わっていたものと推測している
西アジアで農耕開始まで2000年という短い時間で済んだのは、カレンダーの知識が
栽培種成立に有効だったものでは無いか

図 古代文明の年表

図はお借りして補足しています


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