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金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

二至二分とは何かを考える

二至二分とは何かを考えてみた
列島で見られるストーンサークルは二至を知っていたかも知れないということを示す程度のもので暦は作れない。
二至二分を観測したという証拠には成りそうも無い

引用----
日本列島のストーンサークル
ストーンサークルは東北の青森県と秋田県や、北海道で発見されたものが有名ですが、古いものでは本州中部にも複数発見されています。主たるストーンサークルを時代別に並べてみると、時代と共に列島を北上していることがわかります。

まず、最古と考えられているのが長野県諏訪郡原村にある阿久遺跡です。その年代は縄文時代前期、およそ前3000年から前4500年と推定されています。
その後、縄文中期では直径が30m以上もある大型のストーンサークルが諏訪盆地に近い静岡県、山梨県や群馬県付近で見られるようになり、中でも富士山の西南麓のなだらかな裾野に立地する千居遺跡や、山梨県都留市の牛石遺跡の存在は有名です。

縄文中期後半以降には、九州を除いた日本各地でストーンサークルが造られるようになり、後期前半、前1500-前2000年には、大型のストーンサークルが秋田県北部・青森県・北海道西南部に出現します。中でも秋田県鹿角市の大湯環状列石では、立石を中心にして川原石を何重にも囲んだ日時計状組石の存在が認められ、複数の環状列石から大規模なストーンサークルが構成されています。
++++そうなのか これが流行ったのは暦が作られてからと言うことでは無かろうか

その内、万座環状列石は直径46mという国内最大級を誇ると共に、その日時計の立石から環状列石の中心方向は、夏至の日に太陽が沈む方向に合うことが確認されています。
++++そうなのか 夏至の日とはどういうことなのか 何の意味が認められるのか

伊勢堂岱遺跡も縄文時代後期前半の遺跡として保存状態が良く、整備が急速に進められています。そこには4ケの環状列石と共に複数の日時計型組石が存在し、周辺には堀立柱建物跡や土杭墓、捨て場等も発掘されました。そして大湯環状列石と同様に、立石の中心と環状列石は、夏至の日没の方向を意識していると考えられています。
++++そうなのか 夏至なのか 暦は作れない

青森県の小牧野遺跡も保存状態は良好で在り、その美しい環状列石のレイアウトには目を見張るものがあります。いずれも祭祀や儀礼が執り行われ、埋葬にも関与していたと推定されています。

大湯環状列石内の万座環状列石大湯環状列石内の万座環状列石伊勢堂岱遺跡の見事な環状列石伊勢堂岱遺跡の見事な環状列石最大径35mの3重の輪から構成される小牧野遺跡の中心最大径35mの3重の輪から構成される小牧野遺跡の中心

縄文時代後期、十和田湖周辺に造られた複数のストーンサークルの立地条件を決める手掛かりは少なくとも2通りあったと推測されます。まず、日本列島北方の一大拠点として位置付けられた十和田湖の周辺に造ることが不可欠でした。あくまで豊かな水源の存在が、ストーンサークルと集落を形成する為の必須条件だったのです。次に、その十和田湖に向けて海岸から川沿いに上流まで上ることができる水路が重要視されたようです。それ故、小牧野遺跡は青森湾に注ぐ荒川沿いに、大湯環状列石と伊勢堂岱遺跡は日本海に注ぐ米代川沿いに、湯舟沢環状列石は三陸南部に注ぐ北上側沿いに、そして太師森遺跡も例にもれず、浅瀬石川沿いに造られています。十和田湖は見事な水源を提供しただけでなく、近隣の海岸周辺は漁撈の宝庫でもあることから、これら古代の集落は栄えたに違いありません。

これらの大規模なストーンサークルには諏訪湖の阿久遺跡も含め、幾つかの共通点があります。まず、いずれも海岸から離れた内陸にあり、遠くに山々を見渡すことができる盆地のような地勢を有していることが挙げられます。
次に、盆地の一部ではあっても周辺の土地よりもかなり標高差のある高台の地に位置することを常としたことに注目です。ストーンサークルに達するには、小高い丘陵を登っていくことが多いのです。これはストーンサークルが方角の指標を見出しやすい地勢を四方に有することを大切にしていたからに他なりません。ストーンサークルは展望に恵まれ、どの方向からもアクセスしやすくわかりやすい小牧野遺跡の高台から眺める津軽半島と下北半島
小牧野遺跡の高台から眺める
津軽半島と下北半島高台にあることが大切な条件となっていたのです。また、小松野遺跡のように山々だけでなく、真北の方向には陸奥湾をはさむ津軽半島と下北半島を一望し、天候の良い日は遠く海原の状態を一目で見極めることができるような素晴らしいビューを誇るストーンサークルもあります。小松野遺跡からは、半島の中間点を見据えるだけで、真北の方角を一目で知ることができたのです。更に、様々な祭祀活動が行われ、居住地の基点ともなっていたことから、近隣には川や湖などの水源が存在することも重要でした。それ故、ストーンサークルの周辺には川や湖が存在したのです。


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