金生遺跡を世界遺産 世界標準時の天文台にしよう会

「縄文」とは何なのか

「縄文」とは何なのか
「縄文土器」とは、縄文時代とは

縄文時代とは旧石器時代後期に土器が作られた初めー16500年前---から紀元前1000年頃までの、新石器時代を示す。
「縄文土器」とは縄文時代に造られた土器を全体的に総称している。
しかしこの間に主要な模様として、縄文模様が付けられていた時期は、隆起線文土器から羽状縄文土器までの期間である。
この期間の縄紋模様は、新石器時代の弓矢の開発から始まり、弓の弦を開発して、羽状縄文の漁網開発までの期間に当たる。それ以後の土器には縄紋模様は主要な模様では無くなる。
つまり、新石器時代の主要な生業である小動物の狩猟と漁業の開発の経過を文字では無いが、模様または造形として、記録していたことになると考える。
新石器時代の狩猟に中心的道具として使用された弓の開発は、先ず弓の弦を開発することであり、それが出来上がる時、その画期を土器に記録して、供献土器として祝い、祭をしていたものと考える。

 


それからは弦が細く強く改良される毎に供献土器が作られていた。

 


同時に矢の先に付ける石鏃の開発も行われ、その形のデザインの画期を示す記録は、縄文では無いものの、爪形紋のある土器として供献土器が作られていた。


弓の効力を上げるため、弦を強く細くするための開発は、その後も営々と継続され、多縄文土器、撚糸文土器が作られた。
撚糸文土器の時期は、魚釣り漁が始まった時期であり、釣り糸が開発できたので、その撚り糸を糸巻きに巻いたものが、模様付けに使用され撚糸文土器が供献土器として造られていた。

 


撚り糸はその後漁網に使用されるようになり、羽状縄文土器が供献土器として造られた。


縄文とはこのように生業に使用された縄、紐の開発の歴史の画期を記録したものであり、
世界の新石器時代の生業開発の歴史を辿ることが出来る唯一の記録であると考える。

その後の土器は諸磯式土器

この土器も縄文土器の伝統を受けていて、この時期にマメ類の栽培種が成立していることから、それらマメ類の栽培種成立、耕作開始の画期を供献土器を造り祝って記録に残していたのだろう。

図はお借りしました


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