縄文遺跡で立秋の日の出の観測会
2023.08.05 曇りで日の出は見えず その後日中は天気回復
8.06 笠無山の峰は雲、左は雲が輝くもの日の出は見えず その後雨模様
8.07 台風が近付いているためか、昨日よりももっと霧が深く、日の出は全く見えず
8.08 ここでやっと日の出が見えました。
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案内
北杜市全域が太陽観測天文台であること、金生遺跡は太陽暦観測施設であることが分ってきました。
「4500年前の金生配石祭りに集まった縄文人のように日の出を迎えよう」祭り!! 日の出を見ることに集中することは今流行のマインドフルネスにもなるでしょう。特に特別な縄文時代の金生遺跡でですから。
縄文時代に何故立秋観測をしていたのか、現地で見てみましょう
朝活は 立秋 8月 5、6、7、8日 縄文時代の暦の日は 6日
4時30分頃から 5時30分まで
場所 集合は 遺跡現地です
縄文時代には笠無山の頂上から出る朝日を、配石と石棒で日の出を観測して、秋の始まりを確認していたものと思います。
主催 金生遺跡を世界遺産にしよう会
これまでの観測記録の内容は、ブログにあります
johmonkinseistar として検索していただけば、「金生遺跡を世界遺産にしよう会」というブログがご覧いただけます。
※ これからの日の出観察の目的は、縄文時代の暦がどのようにして作られていたのかを知るため、
暦日前後の日の出位置がどのように設定されているのかを見ることが必要なので、数日掛けて観測することにしています。
縄文時代には、何の知識も無いところから、6000年ほど掛けて知識を蓄積して世界で初めて太陽暦を開発していたものと思いますが、現代のような天文学や物理学の知識の無い時代には、秋が始まったことを金生遺跡で確かめることが、大切な行事、祭だったものと思います。
縄文人と同じように太陽が出るのを観測施設でワクワクしながら待ちたいと思います。
昨年は雨が多く前後は大変でしたが 2022.8.5日 立秋観測用と推定している石棒に予想通り日の出の時、ノーモンが影を落としました。
縄文時代の暦は 365日/2 182日 半年の日数、 182日/2 91日 春分、 91日/2 45日 春の始まり 立春、
冬至から 45日+45日+45日+45日+45日 225日 秋の始まり 立秋。 45進法の暦使用と思う
当時、内陸と海辺とでは生業の違いから、異なる暦を使用していたので、ここで同時に月齢を数えて、太陽暦と太陰暦をシンクロさせて日にち合わせをしていたと想像しています。
金生遺跡の時期は24節気の暦が出来ていて、太陽暦は15日刻みの15進法、太陰暦は15日刻みの15進法となり、朔旦立春観測でシンクロさせていたと考えます。
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よろしくお願いします。