追加しました。 2021.12.28
金生遺跡の天文観測は、立冬では冬の季節の始まりを恐れ、
冬至は甲斐駒ヶ岳への日没を観測して、太陽の回復を祈る冬至の祭をしていたものだろう。
立春には金が岳のピークからの日の出を観測して、同時に月の相を観測して太陽暦と太陰暦を整合させていたものと思う。部族長には太陰太陽暦を作りカレンダーを支配するだけの支配力にはまだ達していなかっただろう、またそこまでの計算力があったかどうかも疑問がある。
そして19年毎に朔旦立春を観測し太陽と月の暦をシンクロすることを確認していたものと考える。
こうした推察は、金生遺跡の配石遺構のレプリカから読み取ったものである。これがどれほど正確に再現されていたものかは分らないので、大きく期待を込めている。
金生遺跡での冬至観測
2021.12.20日 冬至2日前
前後3日の日の出と日の入りを観測しました。日の出、日の入り観測には遺跡内からの眺望は、東と南に植樹されていて大木になっているので見にくいため、遺跡から後ろに引いた位置で遺跡を見通して太陽と挟む形で観測している。
2021.12.20日 日の出 その時の西に見えた月 ほぼ満月
日の出
茅が岳 金生遺跡 富士山
2021.12.22日 冬至の日の出
茅が岳 金生遺跡 富士山
影と日の出の西に見えた月
月 影
2021.12.22 日の入りには遅刻して既に日没していた
甲斐駒ヶ岳 金生遺跡
2021.12.23 日の出と日の入り
茅が岳 金生遺跡
日の入り
甲斐駒ヶ岳 金生遺跡
12.20日から12.23日まで日の出の位置は変っていない
冬至日は何時なのか、暦無しでは日の出位置からは分らない