春木南冥 虫合戦図
幕府は天草島原の乱の後、中国とオランダとだけ長崎で交渉する、つまり鎖国の体制をとりました。
これによって日本は長く、世界との関係を断った、と考えられました。
たしかに西洋のような近代国家になることが遅れたかもしれません。しかし、西洋の文化はさまざまな形で日本に伝わっていたと思われます。
この絵は春木南冥という人の絵です。虫たちが朝顔の大砲や草木を使って戦争をするという不思議な絵ですが、木々の描写や構図は西洋画を学んだと思われます。
この人のことはよくわかっていないのですが、お父さんは春木春湖という文人で、長崎に行ったことがあります。九州へ行くときに岡山あたりで司馬江漢と出会っています。春湖は文人なので、中国のことを知りたいと思って長崎に行ったと思われますが、江漢から西洋画の話を聞いたのでしょうか、息子がこのような絵を描くことになります。
さまざまなルートで西洋の情報が日本に入っていたのではないかと思います。
そういえば、幕末にも蕃書調所という西洋の本を研究する組織を作って、西洋画を描く人を雇いました。関係は持たないが、情報を得るという姿勢があったのだと思います。