源内が描いた西洋画
土用の丑の日はウナギを食べよう、という奨励をした平賀源内は数々のユニークな活動が注目されます。
エレキテル(静電気発生装置)を手に入れて、何とか修理するとそれを見せものにしたりしました。しかし、その原理や活用を追及することが出来ず、結局、日本で電気の発展はなかったのです。
両者の関係は、はっきりはしないのですが、「蘭学事始」(ターヘルアナトミア)を翻訳出版した杉田玄白は、源内が亡くなって「ああ非常の人、非常の事を好み、行(おこない)もこれ非常」と追悼した。両者に交流があったことがわかります。
源内は江戸の秋田藩佐竹氏に西洋の話を伝え、絵師の小田野直武に西洋画の技法を伝授しました。自分でも西洋画を描いています。
これらは源内が長崎に学んだことから、西洋の科学、美術を吸収したことによります。その後も江戸の薬種問屋長崎屋で情報を得たようです。
源内はウナギのキャッチフレーズもそうですが、宣伝活動にも協力したようです。そのほか浄瑠璃の台本を書いたり、文章家でもありました。
また、源内焼きという陶芸をおこしたとされ、さまざまな活動をしました。
道徳や序列を重んじた江戸時代にあって、新しい技術や美術に関心を持ってつぎつぎと実行しました。
どれも中途半端な感じもしますが、どれもかなり成し遂げていることにおどろきます。
裕福ではなく失敗が多かったようですが、自由で素敵な人生だったのではないかと思います。