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江戸時代、殿さまはどこにいるのか?
多くの人は城の天守閣の最上階にいて、下々を見下ろしていると考えているのではないでしょうか。
私もその一人でしたが、天守閣や本丸は戦闘や公的な場所で日常にはあまり使われなかったようです。日常は御殿の生活空間の二の丸などですが、多くの大名は江戸屋敷を持って、参勤交代で国元(領地)と一年おきに行き来していました。
大藩では江戸に上屋敷、下屋敷があり、細川家などは愛宕に中屋敷があったそうです。
江戸には奥さんや子どもがいるので、殿さまも江戸暮らしの方が良いと思う人もいたと思います。肥前平戸の松浦隆信は江戸に10年暮らしたというので、ほとんど国元に帰らない殿様もいたかと思います。
また、引越し大名として映画もできた松平直矩(なおのり)などは、姫路から越後、豊後日田のち奥州など、多くの転封を命じられました。直矩は狩野探幽の大ファンで、その絵をもとめた趣味もあったようですが、生涯、引越しの憂き目を見ました。
東京(江戸)出張は今も昔も公務の一大事で、殿さまは大きな負担を抱えました。