イエスは女に【姦淫してはならない】と言われたのではありません。女の心に淫乱な思いがあれば、姦淫してはいけないと言ったところでまた姦淫することでしょう。イエスが女を罪に定めず、(今からは罪を犯してはならない)と言われたときにはすでに女の心は変わっていました。姦淫しようとする心も、恐れる心も消えさり、明るくて清い心で満ちていました。ありがたい心、うれしい心涙が溢れるほどの感動の心に満たされていました。また姦淫しなさいと言われてもできない心に変わっていたはずです。姦淫してはならないという言葉は重要です。しかし言葉だけではなく、姦淫しないように心から淫乱な思いを追い払い、感謝と喜びと熱い感動で満たされることの方がもっと重要です。イエスはそのような方法で人々を罪から救い、罪を解決してくださいました。