中学の英語の教科書を
眺めながら
日々思う。
普通の塾に通ってても
「トンチンカン」
になっても
決しておかしくない。
わからないことに
子どもたちが慣れてしまうのか
授業が崩壊していくのか
どっちが先でしょうか?
中学の英語の教科書を
眺めながら
日々思う。
普通の塾に通ってても
「トンチンカン」
になっても
決しておかしくない。
わからないことに
子どもたちが慣れてしまうのか
授業が崩壊していくのか
どっちが先でしょうか?
中学受験雑誌を読んだ。
灘、開成、筑駒、桜蔭…
最高峰の中学に合格した家庭の
親と子の過程が
実名、写真付で掲載されている。
その中で、気になったのが
我が子が勉強をしないとき、
親がどういう言葉をかけているのか?
という質問に対する答えだ。
多くの親が
「やりたくないなら受験を辞めなさい」
と言っている。
その言葉に一念発起して、
その子たちは頑張ることを選んだそうだ。
でも、
「辞めなさい」と言われて発奮する子たちって
一部にすぎないと思う。
目の前の我が子がやらない場合、
親たちはイライラするだろう。
親は「結果」を求めていて、
その結果を出すために
「やる環境」を求めている。
その環境にいれば、我が子は、
必ずやる気になるはず。
でも、やらない。
だから「それなら辞めろ」と言う。
求めているものは結果であるのだから
どうしてやらないのかを
考え、
話し合い、
やらせること。
それが親の役目だと思う。
違うのかな。
やらせることが
できる親、
できない親
その違いは何なのか。
塾という仕事は子どもたちを見ているが、
その後ろにいる親たちも見ることになる。
人は成長する。
何かうまくいかないとことがあれば、
よく観察して考えて、試行錯誤する。
諦めないでほしい。
絶対に突破口はあるはず。