「2次選考提出のポートフォリオは何を提出すればいいのかわからない」という質問も
毎年多数ある質問です。
これは簡単に言うと自分はどういう人間で、将来どのような人間になりたいのか、
そのために一度しかない自分の人生で、なぜ早稲田で勉強しなければいけないのか?
という自分の人生のアウトラインと目標をデザインしなければならないのですが、
それがこの早稲田建築AO入試で明確にする機会であり、私の指導目標である
建築は総合芸術なので、アーテイストにして建築芸術家という魂の意識に変え
短期目標である合格へつなぐ導く役目を受けていると理解している。
受験するあなた自身が自分について何をどのように伝えれば、様々な試験を果たす
建築専門家にあなた自身の強みと情報と将来世界を相手に活躍する建築家の可能性を
つなげるために、アーテイストに変身し合格という結果を残すための具体的な枠組みと
方法を創りました。
だから、自分の強み、社会的な活動、あるいは昔から自分がこだわり継続している事や
人とは異なる内面的な価値観などを、総合芸術である建築で必要な空間や立体造形表現や、
建築設計で必要な外観や内観を絵画で表現する表現技術などに関係する美術作品と
立体構造物の制作に必要な立体構成や将来創りたい建築の模型などを工作精度などではなく
あくまで、10代後半の自由で柔軟な発想で工作あるいは、ドローイング制作やその憧れや
想いを言葉と絵や立体で今の自分が考えている、建築への夢を表現してはどうだろうか?
絵画、彫刻、デザイン、写真、コレクションしてきたもの、スケッチ、呼んで来た本の感想
家族や身近な動物の素描、歴史的な画家の作品の模写、メモなど自分らしいなと思う事やもの
などです。後で編集をしなければなりませんので、今は素材を集めたりしておくようにしてください。
言葉での印象もとても大事です。自分を客観的に捉えるのはとても難しいので、最初は仲のいい友達に自分をどういうふうにみているか、聞いて見ると意外な面が見えてくると思います。セルフイメージは自分の顕在意識ではなく潜在意識に普段は隠れているので、なかなか見えにくい自分の内面の本当の姿と云えます。この両方の意識があなたの人生を形作る事になります。
先ほどのPR資料に入れるアート系作品の平面的奈作品と立体的な作品も、完成度とかそういう事ではなく、最初のスタート時の作品はその人の将来につながる大事な潜在意識での世界観が必ずでてきますので、とにかく描いたり工作したりして創りましょう。
NO.2
あなたはドローイングやデッサン、そして立体造形や自分が創りたい建築の完成予想図や模型などを大学に入ってから学ぼうと思っていると思うが、相手は本当に建築という極めてニッチな、”論理分析能力”と”芸術分野における自己表現能力”と言う相反する能力を持つ人材を人生の10代という早い時期で探すのは、大学でも非常に大変だと国内外美術大学の実技と学科の入学試験を見て、実際に受験生とほぼ1年とか2年間を、盆も正月もない日々で個別指導してきた外部の人間から見ると、それはとても大変な事だと思います。
現在の世界で活躍する日本人建築家でプリッカー賞(米国建築界のオリンピックといわれる)プリツカー賞は1年に1人の受賞が原則。ノーベル賞のように部門がいくつもなく受賞は原則年1人である。その誕生は1979年。世界的規模でホテルを展開しているハイアットホテルの創業者、ジェイ・プリツカーと、妻であるシンディによって設立された財団による賞。評価方法は存命の建築家を対象に「建築を通じて人類や環境に一貫した意義深い貢献をしてきた」という点を評価。建築界のノーベル賞とも言われるように、この賞を受賞した人物は世界的に認められた建築家。
丹下健三 1987年 日本人の初めての受賞者丹下健三だ。近代建築の3大巨匠のル・コルビジェの元で学び、日本の建築家を引っ張り世界レベルに引き上げた人物だ。代々木体育館、東京都庁など日本を代表する建築が今も残っている。
槇文彦 1993年 幕張メッセや代官山ヒルサイドテラスが代表作。丹下研究室出身である。
名家の出身で親族にも建築界の大物が多い。問題となったザハの新国立競技場は槇文彦氏が景観について、苦言を呈したのが発端だと言われている。 新国立競技場のザハ案を選んだのは安藤忠雄。それを批判した槇文彦。
安藤忠雄 1995年 その2年後に受賞したのが安藤忠雄だ。大学では建築を学ばずに建築事務所のアルバイトと独学で建築家になった異例の人物だ。その風貌や大阪弁でズバズバ語るスタイルでも有名だ。
住吉の長屋(1976年)や地中美術館(2004年)で知られている。コンクリート打ちっ放しと言えば、安藤忠雄を最初に思い浮かべるでろう。賛否も多いいのが特徴。
妹島和世+西沢立衛 SANAA 2010年 少し間が空き受賞したのが、妹島和世+西沢立衛のユニットSANAAだ。日本の建築学会賞も2度受賞し、海外も含め数々の賞を受賞している。注目の建築家だ。実は建築界では数人でのチームも珍しくない。日本一有名な美術館、金沢21世紀美術館(2004年)やディオール表参道(2003年)などがある。ザハの亡き今、妹島和世は日本女子大卒で世界でもっとも有名で実力のある女性建築家と言ってもいいかもしれいない、2人とも横浜国大建築科大学院教授。西沢立衛は妹島和世の教え子で自分の建築事務所で育てた。
伊東豊雄 2013年 6人目の受賞となったのは伊東豊雄である。仙台メディアテーク(2000年)や、台中メトロポリタン(2016年)などを設計した。新国立競技場で隈研吾と競った人物としても知られる。初期は軽やかな建築が多かったが近年は迫力と生命力のある建築を設計している。受賞が遅すぎたのでは?と言われるほどようやく受賞した人物だ。多摩美術大学環境デザイン科教授、多摩美の図書館は有名。
坂茂 2014年
そして最も新しい日本人受賞が坂茂だ。東日本大震災や、ニュージーランドの地震などを支援するために紙で作った紙筒を構造で仕様した、世界の建築界で注目される人物だ。本人は紙が好きな訳ではなく、新しい素材に興味があるのだという。クライストチャーチ大聖堂(仮設)、紙でできた教会やポンピドゥー・センター・メス(2010年)などがある。慶応大学SFCの教授を歴任していたが現在は多忙で客員教授。
この中に早稲田も筑波も京都工業繊維大も、明治も東京芸大も主要な美術大学の卒業生は誰もいないのである。やはり東大建築が多いがこれからは変わるだろう。ザハは英国のAAスクール、フランクゲイリーも
フランク・ゲーリー |
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生誕 |
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国籍 |
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出身校 |
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職業 |
建築家 |
受賞 |
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所属 |
Gehry Partners, LLP |
建築物 |
ビルバオ・グッゲンハイム美術館 |
フランク・オーウェン・ゲーリー(Frank Owen Gehry、1929年2月28日 - ) は、アメリカ合衆国のロサンゼルスを本拠地とする、カナダ・トロント出身の建築家。現在、コロンビア大学建築大学院教授。イェール大学でも教鞭を執っている。
略歴[編集]
1929年2月28日、トロントに住むニューヨーク生まれのロシア系ユダヤ人の父アーヴィング・ゴールドバーグとウッチ生まれのポーランド系ユダヤ人の母セルマの間にフランク・オーウェン・ゴールドバーグ(Frank Owen Goldberg)として生まれる。彼はまたイーフレイム(Ephraim)というヘブライ名を持っている。創造的な子どもで、音楽や絵画を好んだ。トラック運転手や親戚の事業の手伝いをしながら、ロサンゼルス・シティー・カレッジの夜間クラスに通い、美術と建築を学んだ。また、南カリフォルニア大学の時間外プログラムにも通い美術史や陶芸を学んだ。1952年、最初の妻アニタと結婚。1954年に南カリフォルニア大学より建築学士号を取得する。
まあ、大学よりも誰に習うかという視点もあるのかと思うけど、あなたの頭ではどう考えますか?