JT:エピソードその1 ➡ 1977年 ”クセナキス再考”
そのとき私はすでに27才にもなり、心も身体の中もがたがたで茫然自失で複雑な
蹉跌の旅でパリへの脱出だった。起業したデザイン事務所で胃と12指腸潰瘍が12個もでき、強制的に入院になり1ヶ月後奇跡的に退院し全てをリセットしパリオルリー空港に降り立ちバスでパリに入った、それは複雑な蹉跌の旅であり心境でしばらく住んだ….
眼の前に1977年に突然姿を現した建築中の巨大なガラスとパイプ構造に、青と黄色、そして赤い巨大な3本のチューブが外に露出されている。「実にクールでありそれはまったく周りとまったく調和していない、実にクールだと僕は感じた。
まだ完成していない」ポンピドーセンターの外に露出した3本のジグザグのエスカレーターで上までいき、パリの街を見た、それはまったく新しい時代の息吹を感じた。
その前の広場ではちいさな放物線のテントがあり、その入り口には、”クセナキスのポリトープ”とかいてあり、4フランかいくらかは忘れたが、入場料を払い中へ入るとアベックが奥に一組いるだけで、入り口そばで天才クセナキスただ一人が自身が発明して制作したとても大型の真空管式コンピューターで操作していた。
それはあの20世紀の3人の革命的建築家の一人であるル・コルビジェの大番頭であった、天才的現代作曲家クセナキスだった(コルビジェのモデユーロの数値化と理論発明者....)が当時の私はまったく知らなかった。地面に座り暗い天井には方眼の電線とガイシがポイントに配置していた。奥には若いカップルがそういうことはまったく眼中になく抱擁していた。
少しの時間のあと男性の声でアナウンスがあり、自己紹介があり上演がスタートした。暗黒の宇宙空間が眼の前に拡がり、ちいさな光りが誕生した…それが左右、上下の空間に無数に順次拡がり、こちらに向かってくる。頭上に来るときはその電極からのスパークで火花がおちてくる….そしてそれは遙か頭上を超えて、また遙か彼方に消えてゆく….
そしてまた、左の方かも….右の方からもその光りの無数のレーザー光線の点と軌跡は延々と続いて行きそれと共に、壮大な音楽がその下に、通底しているのに築かされる。四方八方から白い光線が放たれて、僕のほうにもめがけてくる、頭からは火花が落ちてくるその光線は眼にも身体にも頭にもそれは刺さってくる……
まったく新しい、見た事のない何という空間の彫刻であり、音楽と造形空間の
新しい試みだろう、心に深く感動するえも言われぬ体験だ。それは今までの2次元平面でも3次元の美術作品とはまったく異なっていた。三次元ではない時間や歪んだ時空の相対性空間、あるいは4次元のアートの存在を体感していた自分はその時の衝撃的感動をどのように表現したら良いか分からない。批評家ではないので、うまく言えない……
美には西欧的な「構造的想像力な美」と、日本のような「詩的想像力の美」があるが、その両方を体感して直感的に腑に落ちた20代後半での偉大な、「空間で表現された、壮大な宇宙の交響楽がテーマの、音楽と建築造形と表現が統合された緻密な数学+美学」の偉大なインスタレーション作品との遭遇であり自分の‘’人生での時間芸術‘’エピソードの瞬間だった。
それはアートは過去のものを守るのではなく、創造と破壊という常に新しいアーテイストのイマージがあり、試みがなされ行くものだということだけは真理である事を再度体感した。自分の人生の中の大きなエピソードの一つであった。
それは「新しいものの創造は、外から与えられる知性と、長年秘めた美学と内から迫られる本能と、天啓という直感が統合された時に生まれた優れた歴史的な音楽を建築と美術の融合されたはじめての創造作品」であるという別の言葉でも言える世界観だった。