今年もまた成人に成りました…果たして何度目なのか、忘れてしまいましたけれど。でも、毎年成人の階段を着実に上る…と云う自覚でいたい…という気持ちは忘れないでいたい。と、今になって思うけれど、ここ迄歳を重ねて来る間は、忘れっぱなし。そんな日々•年月が今の私を築き上げてしまった。後悔はしていませんけれど。
でも、とは言え、自分の事を棚に上げ言わせて貰えるならば、今の若い人達、これから成人になる人達には、〈大人に成る事〉の意味を知って自覚して欲しいと思います。
それを踏まえて『おめでとうございます』と言います。
私は成人式の日の事は殆ど覚えていません。当時は今と違い【成人の日は1月15日】と決まっていました(いつから変則になったのでしようね)。
形式的な事が好きではなかった私を含めて友達はみんな式には出ないと云う者ばかり。そして男も女もその時代なりの《自覚の自覚》を持っていた、《社会を知っていた•順応していた》様に思います。おまけにその日は雨でした。私は誰かと会って何かをしたのだとは思うけれど、確かな記憶を残していません。詰まりはその程度のものでした。
数日後、成人の祝いにと台東区の方から引き出物ならぬプレゼントが贈られて来ました。どこの市区町村でもある事なのかなあ?
それが、これ。
なんと「広辞典」と云う辞典。若気の至りか、もっと気の利いた物が良かった…などと思ったりはしたものの、まあ、有り難く利用していました。気が付けば紙のケースはご覧の通り色褪せてしまっています。未だに持っていたとは〈ここにも私が生きていた〉と云う証し。なんか、人生ってこんな様なものなのかなぁ…って気がします。
これが、何回目かの私の成人式です。
来ました。ひとしきりの講演が終わって
「何か質問はありますか?」と言われ
誰からも挙手がなく、去って行ったのを
覚えています。
意味のない電報も来ました。
当時の国会議員から2人。
一人は地元選出、もう一人は同じ県の
出身ってだけの人。
今だったら考えられませんけどね。
巨人軍の選手、誰が来てどんな話しをしたのか判りませんが、誰からも質問が無かった…なんて、ちょっと「暖簾に腕押し」みたいで可愛そうな気もしますね。もしかしたら場違いで空気の読めない内容だったのかな?
国会議員…ですか。それも仕事なのか「票稼ぎ」の一環だったのか!? そういう場にも現れるんですね。
昔も一部では今と同じ様なド派手な格好したお祭り気分の者がいたのかなぁ。
まあ、今は昔の物語りですね。
小生の知る限りでは【成人の日は1月15日】と決まっていたような・・・
ひょっとして、〝マンデラ・エフェクト〟なのでしょうか?
そうでした。成人の日は確かに1月15日でした。書いた後に読み返していなかったので、単純な記述ミスに気が付きませんでした。ご指摘が無ければそのままになっているところでした。有難うございます。訂正しておきました。
そう言えば、第2月曜日になったのは2000年からでしたよね。