空海展(奈良国立博物館)②
司馬遼太郎の小説「空海の風景」では、空海は好意を持って描かれていない。司馬さんは空海が好きではないように見える。若いころに書かれた三教指帰を読むと(私は全部読んだわけではないけど)衆生を救うために仏の教えを学ぶとの強い意志が感じられるが、実際にやったことは自分が王様になる宗教王国を開くことであったとの批判の小説と読むことができる。
それはそうなってしまった、またはそうならざるを得ないことではないかと思う。〇〇(自動車でもスマホでも何でもいい)を世間に普及させたいと若いころは情熱を持っていたが、実際にやったことは自分が社長になる巨大企業を作ることであったという話はよくあることである。一代で巨大企業をたちあげる人は、多少の阿漕なこともせざるを得なかったであろう。空海はそういう人物に重ね合わせることができる。ただ後継者が上手かったのか、千年以上続く宗教王国になって栄えたところが今世間で栄えている巨大企業とは異なるところである。(もちろん創業者が創業する前は大変な芸術家であったところは大きな違いである。芸術家で宗教家かつ巨大企業の創業者というのは人類の歴史上まれなのではないか。)
快慶作の孔雀明王の像を明るいところで見れたのは幸せなことだった。高野山の霊宝館で拝見したときは暗かった。(暗いとそれなりの有難さを感じるが)夜目遠目傘のうちの夜目に相当する。たいしたものでも無いのにいいように見えているんじゃなかろうかと心配していた。しかし今回明るいところで見ると孔雀の顔も明王の顔もその存在感に驚くばかりである。さらに象に載ってる明王ならバランスにさして注意しなくも作れると思うが、二本足のトリの上に載っている。よくこれで倒れないで殆ど1000年近く立っていられるものである。仏像は是非揺らめく明るい光の中で拝見したいものである。昔のヒトは、果たして暗いお堂の中で見たのだろうか。私は、揺れる明るい松明の光の中で朗々と唱えられるお経とともに見たと思う。そうすればそのヒトの無意識にあるものが意識化されることによって例えば悩みが解消されるとかの良いことが起こるのではないか。ヒトが時々芸術作品に触れたくなるのは、この無意識にあるものが意識の近くに上がってくることにあるのではないかと思っている。
私は小さいころ、親がどこで購入してきたか知らないが空海弘法大師のお守りというのを帽子に縫い付けて、この帽子をかぶって勉強せよと命じられたことがあった。あるとき、そのお守りの錦の袋を破いてみたところ、中は杉の木片に空海の像が焼き印されていたものであった。そんなことをしたせいか効果は何もなかった。なかったところをみると、時空を超えて他人の学習能力を高めるという世間で喧伝されているような特殊な能力は遺憾ながらこの人にはないに違いない。特殊な能力ありとするのは、単に宣伝である。しかし宣伝よろしきを得ないとあんな巨大な宗教王国が隆々と栄えるはずがないのである。
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