目から火が出る話
忘れないうちに書いておきたい。もうずいぶん昔の話であるが、細かいところはともかく大筋は自信をもって事実であると誓える話である。
昭和30年代には電信柱に勝手に個人が宣伝を貼り付けたりしていた。宣伝の中には習字の練習用の紙に「ちちもみします」と墨汁で大きく書いてその店の地図が添えられていたものがあった。電話番号は当時どこの家にもなかった時代であるから電話番号の記載はない。その地図の家の近くには私の友人が住んでいたので、友人に「ちちもみ」とは何かときいた。友人はお産のあとお乳の出ない人のお乳を出す技であると教えてくれた。出過ぎる人のを止めることもできるとも教えてくれた。またあのおじさんはとても上手い人であるとも言った。小学2年生であるからなるほどと思う以上の感慨はないのである。
しかし私は当時から人と違う感性を持っていた。
「そこのお店お客あんまり来ないのんと違うんか。」
「おじさんいつもヒマそうにしてるで。いつ見ても本読んだり新聞読んだりラジオきいたりしてる。お客はいってるのん見たことない。」
わたしは、その時これだと直感した。朝から夜遅くまで忙しく働くなんてまっぴらごめんである。当時は子供がよく生まれた時代でかつミルクとかのない時代であるが、それでもちちもみやさんに行く必要のある人はそんなには居ないであろう。これは暇ないい仕事である将来はこれになろうと直感したのである。私は暇であることを仕事選びの第一条件にすることを当時から考えていた。父親のようにまたは隣のおじさんのように朝早くから夜遅くまで働いてそれで家に帰って母親から稼ぎについていちゃもんを聞くのはつらいと思っていた。近所の魚屋の大将のように魚を切るのは大変な肉体労働であれはできそうになかった。ちちもみやさんは力を要しないと想像される。
その次の三年生になってからだと思うが、あるとき学級参観というのがあった。母親が教室の後ろで授業の様子を一時間見に行くのである。その日の放課後は何時ものようにあちこち遊びまわって夕方暗くなるころに家に帰ったところ、家の中が妙に暗くて物音がしない。悪い予感がしたが、ともかく家に入ると母親が暗いところに一人で座っている。学級参観に着て行ったキモノのままである。悪い予感はさらに高まる。
ここへ座れというからとにかく座ると、いきなりお前は大きくなると何になるつもりかと聞かれた。これはきっと担任が私について将来心配であるというようなことを言ったに違いない。あの担任なら言いそうである。ここは常日頃からしっかり考えているということを明言して親を安心させねばならない。
「ウン、ちちもみやさんになる。」
と元気よく答えた。
こたえるのと、頭を張り倒されるのとが同時であった。そして張り倒されたときに薄暗かった室内に何が置いてあるかが一瞬であるがはっきり見えた。これが目から火が出るという現象であろう。出た火で一瞬だが周りがよく見えるのである。あちこちの本に書いてあることは本当にあることだと納得した。爾来本に書いてあるちょっとありえないような話(例えば聊斎志異のような)も本当だと思うようになったのは行き過ぎであるような気がする。
この将来何になるかの問題はその後も長く尾を引いて私も周りもそれに苦しんだがそれはまた別のことである。
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