日本銀行 我が国に迫る危機(河村小百合著 講談社現代新書)③私はなぜ読むのか
私の母方の祖父祖母は、母親に一生かかっても使いきれぬほどの巨額の預金を持参金にするようにと残したという。年の離れていた祖父祖母は母親の輿入れを見ることなく亡くなった。それが、預金封鎖で使えぬままインフレで消えたと母親は残りの生涯を泣き泣き暮らした。この場合、憎きは日銀だけではない気がするが母親は日銀を生涯憎んだ。もしそういうことなければ、私もお相伴にあずかって幼いころいい思いができたかもしれぬから私も恨みはある。または、学生の頃に甚だしい苦学をする必要はなかったかもしれない。就職に有利になったかもしれない。そうなるとますます腹が立ってくる。今度同じようなことするのは許さないぞとの思いである。
試みに永井荷風の日乗の封鎖の日の記事を読むと荷風は淡々としている。その後も自分の小説が売れ続けたからであろう、金回りはよくずいぶんとスケベーの限りを尽くしたことを自慢げに日記に書いている。(そんなこと自慢するものでもない気がするが。)才能と運のある人にはかなわないと思うが、才と運のない人もせめて泣かずに生きていけるようにするのが公的な組織のなすべきことであろう。(ただし日銀は株式会社であるらしい。)
もし日銀が破たんするならどんなことがおこるかを事前に知って対策をたてられるならたてたいというのが、私に限らずこの本の読者の等しく考えるところであろう。日本全土を覆う大津波みたいなもんだから逃げ場がない気もするが箱舟までとはいかずとも救命ボートくらいは何とかならないかと皆が思っているだろう。その何が起こるかは、日銀(に限らないけどいろいろな組織のなかで)で様々に計算されているはずである。なぜそれを公表しないのか。たいしたことなければ皆が安心するではないか。その公表無いからいろんな人がいろいろな脅しの文を思いついて出版して人々が右往左往する。
著者によると「欧米の主要中央銀行は一般国民向けの説明を強化している。」しかし日銀のHPには「中央銀行がどうやって政策金利を上げ下げしていたかを説明する資料すらない。」らしい。日銀は公表すべき数字はすべて公表しているというであろう。しかし、その数字を読み解くほどの力のある人が市井にいると思っているのであろうか。いかなる場合であってもヒトを自分と同じと思ってはいけないのである。
アイザック・ニュートンはイギリスの造幣局の局長だか長官を務めたという。決して名誉職で何の仕事もしなかったというわけではない。昔は中央銀行がないのだから造幣局が事実上の中央銀行であろう。この人決して運動方程式や重力発見だけではない。どこでどれだけのおカネが回るかの計算もできた人である。数学のできる人の一番いけないところは、他人も自分と同じ理解ができているはずと思い込むところにある。今度の総裁は数学科の卒業であると仄聞する。ヒトと自分は違うということを肝にメイジていただきたい。
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