小説 徐福と童男童女3000人の子孫⑯
お大師さんの話はまだまだ続きます。お大師さんは話すのが好きで結構饒舌な人のようです。
ここで何としても三教指帰のお話をさせてもらいたい。
孔子君は、私の前世である徐福よりも先輩であるが貧困の中から出世する方法を編み出したんだが、さっぱりうまくいかなかった。であるのに自分の方法は絶対うまくいくはずであるとして弟子を大勢集めて塾を始めた。人柄がよかったのとカリスマ性があったので、塾は繁盛したようだ。弟子の中に筆まめなのがいて孔子君の言葉を書き残したのがいてこれが聖典になった。なかなかの名文であることが良かったんだ。しかし、これは今でもたまに見かけるが「私の言うとおりにすれば、絶対もうかります。」という教材売りと同じ手口じゃないのか。「そんなことしてないで、あんた自分で儲けたらどうなんだ。そっちの方が早いぞ。」と言いたくなるあれと同じだな。
この教団は、秦の始皇帝の時代にはひどい目にあったらしいが、漢の第7代武帝の時に転機があって官僚の守るべき倫理として採用されて以後大発展した。そりゃ武帝にしてみれば官僚がこの教えを守って仕事してくれたら皇帝のやるべき監督の仕事が楽になるもんな。しかしこれは、あくまでも官僚だけの守るべき倫理であって、皇帝個人と庶民は関係ない。それが、私が奈良の都で勉強始めた時には日本にも輸入され、国が発展するにはこういう倫理でないといけないとされていたんだ。これは出世したい個人の虎の巻であって、国を運営する倫理にはならない。
そもそも孔子君も本当に出世したのなら、そんな虎の巻なんか残してないでさらに出世しようと汗をかくはずだ。権力欲は物質欲と並んでもうこのくらいでいいじゃないですかということのない欲望だからな。うまくいかなかったから経典になって残った。
老子君も同時代の人だが、かれはもともと軍隊を動かすような仕事をしていたようだが何もかも嫌になって仙人になろうとしたがうまくいかなかった。しかしいまわのきわに、自分は結局うまくいかんかったのだがここまでは到達しましたよという記念文を書いたんだ。それが今に伝わっている老子道徳教なんだ。本当に悟った人は文章なんか残さないもんだ。
例えば「知るものは言わず。言うものは知らず。」とか「知りて知らずとするは上なり。知らずして知れりとするは病(へい)なり。」という警句があるだろう。一見確かに周りの人を見ているとなるほどそうだと思うことは多い。しかし、老子ご自身はこの警句を言っているんだから言うものになる。だから知らない人ということになるし、自分は知ってるとしてこのように喋ってるんだから老子ご自身は病(へい)ではないのか。どうも生悟りみたいなところがある。
もっとも、わが仏の教えを漢訳するとき適切な言葉が見つからなかったときに、道教から拝借したのでその点では感謝している。
その点、お釈迦さんは瞑想して自分の無意識の中を見て回ったんだ。無意識の中にはありとあらゆるものが詰まっている。それは、言葉ではなかなか伝えられないものでまあその匂いというか例えというか、さらには修行の方法というかありとあらゆるものを書き残したのが経典なんで、説明するのも難しいものなんだ。これを勉強すると、個人の生き方の参考にもなるし人民の倫理はどうあるべきかを決める参考にもなる。
こんなわけで、仏典を勉強して国を治めた人は一杯いる。聖徳太子や家康君の政治顧問天海和尚なんかがそうだ。それから、フロイト氏は異教の人であるから私はお目にかかってないが彼は無意識を再発見したというべきで、遺憾ながらこの点ではお釈迦さんが先だと思う。
ただ、お釈迦さんもうまくいかなかったから経典を遺したんじゃないかとの疑念は残る。現にお釈迦さんをトップとするシャカ族はその後滅んでしまったというではないか。おかげで、モノを作るときに失敗して作りかけのものがダメになることを「おシャカになる」との言葉ができてしまった。そんなこと気にしだしたらキリがないからもうやめておこうと思ってる。
三教指帰を書きながらつくづく思ったことだが、人はどうしても自分の境遇からものを考える。孔子君も、老子君もそうだ。個人がそう考えてそれを日記に執拗に書くのはもちろん自由だし、それを見た個人がそれにイタク感激して自分の考えに取り入れるのも自由だが、国家運営に係る人が感激してはいけない。
参考になる話にこんなのがある。家康君の息子に秀忠君というのがいて第二代将軍であった。私のもとに来ているが今でもちょっと影が薄い。かれの嫁さんがきつい人で大変御苦労なさった。あるとき孔子君の著作を読んでいて「夫唱婦随」を発見した。そのころの日本は女性が活躍している時代であったが、彼はこれからはこれで行こうと思った。孔子君も嫁さんのきつい人であったようで、孔子君の著作には密かにそのことの恨みが込められている。同じことに苦しむのだから共鳴するのは同病相憐れむでまあ致し方が無い。ここまではいいのだが、それを国家の方針にするとどうもいけない。大名旗本御家人陪臣皆が「夫唱婦随」を実行してから、武士階級はお行儀は良くなっても経済は零落した。女性が自由であると国が栄えるようだな。わが高野山も女性の入山はトウの昔に廃止した。
組織の指導に当たるものは、個人の感情を政策に反映させてはいけない。それから各種経典にあることをむやみにありがたがって何の考えもなくそれを尊重して政策に取り入れてもいけない。