残照亭の日日

残り少ない日々、自分の日常や古い話などを時々書きます。
故「藤沢周平」のファン。思い出の作品などを書いてます。

「藤沢周平」⑥"教師像について"

2023-09-08 | 藤沢周平作品

*敬称略 悪しからず

藤澤周平の教師時代は、わずか二年程度しかない。

だが、生徒たちに対する教師としての愛情は、その後再開してのちは

深く濃く生涯にわたって、続く事になった。

藤澤周平は「教師とはかくあるべし」と考えていた。

『例えばですよ、僕とたいして学年、違わないと思うんだけども、

Yさんという先生がいてね、その先生がある時、学校が火事になりましてネ、

寄宿舎、山奥ですからネ、寄宿舎に生徒が泊まってる訳ですね、

それが火事になりまして、冬に、一応全員出したんですけどネ、

何か心配になりましてネ、残ってるんじゃないか、と。

もういっぺん、火の中に飛び込んで、そうして、二階に上がって、

焼け死んだ、亡くなられたんですけどネ。

実際には、生徒達はみんな無事だったんですけどネ、。

そういう気持ちっていうのは、これは、先生でないと出来ない事だと、

思うんですヨ。

先生とか親にしか出来ない事だと思うんですヨね。』

寄宿舎が火災で焼失し、生徒を心配し火の中へ飛び込んだ教師が

亡くなった事故は、昭和30年代に山形県内で実際に起こった事故である。

結核に侵されなければ、あるいは退院後教師に復帰していれば、藤沢周平の

長いトンネルは無かったかもしれない。

多くの作品は、まったく別の形で姿を見せたのではないか。

つづきは、近いうちの別の日に・・・


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