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昨日は新一丁目御門から法華坂を通り二の丸駐車場に入りましたが、今日はまたまた新一丁目御門(現・清爽園)に戻り、市道京町1丁目宮内第1号線を散策。
(2016年11月中旬撮影)
清爽園です。江戸時代はここに新一丁目御門がありました。
明治になるとここも様変わりします。
これ見たことがありますか?
熊本YMCAのところにある熊本電信発祥の地の碑です。
『ダンナワイケナイ ワタシワテキズ』この電報は有名ですが、これはここから打ちました。
でも、私勘違いしていました(^^;;
熊本電信局が開局したのが1875(明治8)年3月20日。
1年半後の1876(明治9)年10月に神風連の乱が起こります。
鎮台司令長官・種田政明はお妾さんの小勝と寝ていたところを襲われ死亡。
小勝が東京の両親に宛てて打った電報が、『ダンナワイケナイ ワタシワテキズ』です。
ダンナハ(種田政明)は、イケナイ(亡くなりました)。
ワタシワ(小勝)は、テキズ (傷を負っています)。
私、電報は事件直後に打ったと思っていましたが、熊本電信局は、このとき襲撃され、機械が破壊されました。
26日には予備機を設置して電信は復旧しますが、復旧後もしばらくは私報を禁じられていました。
小勝は、11月1日に電報を打ったそうです。事件から1週間以上あとの電報だったんですね。。。
⇒西南戦争に関する記録の実態調査と その分析・活用についての研究
この資料の14~15ページに詳して載っています。興味のある方はご覧くださいませ。
清爽園から宮内橋へ向かいます。
4月の地震後、この道は7月末まで通行止めでした。その間お城のまわりの渋滞はすごいものでしたが、この道が通れるようになり渋滞が緩和され、私もお城に行くのが便利になりました。
宮内橋をくぐるとモルタルが迫ってきます。
ここらの写真ではわかりにくいので、上にあがりますね。
宮内橋は現在も渡ることができませんが、護国神社へ行く階段は使えるので上から見ることができます。
階段を上がり、宮内橋手前から撮影。
崩れた石垣はすべて撤去され、モルタルを拭きつけ、ネットを被せています。
このネットは錆びない! 軽い! 寿命が長い!ネットです。これについは後日詳しく書きますねー
ネットで覆われた石垣をよーく見ると、その横には崩れた石が・・・。
宮内橋の手前からズームにして撮ると、住江門が見えます。
レンズ越しですが、西側は大丈夫みたいです。よかったぁー。
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