昨日は休みで計画していた王将の餃子食べ放題でビールを飲んだのですが
その後に蓮の花さんのブログ記事を読んで「色即是空」について考えていました。
考えるだけでは埒が明かないので
ネットで調べてそれを自分なりにまとめてみます。
般若心経では「色即是空 空即是色」がセットになっていて
更にその前には「色不異空 空不異色」があって
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」とまあ似たようなものがありがたく繰り返されています。
仏教用語の「色」や「空」を英語ではどう訳すのかは私は知りませんでしたが
色が(visible phenomenon, a form)空が(invisible phenomenon, a formless)だそうです。
色と空のたとえとしてよく使われるのが水と水蒸気、水と酸素&水素であったり、
あるいはアインシュタイン以降の物質とエネルギーなどが持ち出されることもあります。
科学的なたとえと「空」の持つ「恒常な実体がない」という意味と合わせると
「色即是空 空即是色」が「もの」が変化する様であり、生成流転や諸行無常という意味にも考えられます。
そして「空」についてもう少し調べてみると
「空」には実態がない、変化し続ける、ということだけでなく
「因果」という要因もあるようです。
単に変化するのではなくそこには因果があり
物あるいは事物は因果により存在するということになり
存在も変化も、因果あるいは縁起によって成り立っているということになります。
「色即是空 空即是色」が般若心経を理解するときの一つのネックであり
特に「空」の理解が重視されるのは
おそらくは「空」の持つ「因果」「縁起」にあるのではないかと考えられます。
「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」の
「不異」と「即是」は同じなのか違うのか、違ったとしても微妙なものなのか
とりあえずここでは置いときますが
縁起には時間的な縁起と空間的、あるいは論理的縁起があり
「諸行無常」には時間的な縁起が関与しているのに対し
空間的、論理的な縁起によるものが「諸法無我」なのではないかと思います。
「諸法無我」について現時点のWikipediaでは
「全てのものは因縁によって生じたものであって実体性がないという意味の仏教用語」
とありますが
実体性はなくても、因縁、因果、縁起は歴然として存在すると私は考えます。
また「空」が因果の法則を内包しいるのであれば「色」と「空」を結びつける
「不異」も「即是」も必要ないだけでなく「色」も必要なく
「空」だけで全て完結しているということになります。
般若心経が初心者や在家衆生への教えであるため、
色不異空~のような表現になったのだと思うのであります。
空が(invisible phenomenon, a formless)
上記の英訳は我流で公式的に決まった訳し方ではないです。
対訳者によって、それぞれ選択した単語が違って私も結構、紛らわしかったので
自分勝手に上記の英単語なら
英語圏の人にとって直接訴えるものがあるだろうと推察しただけです。
ですが、シヤマさんの記事で更に深く多様に考えが広がるようです。
いろんな約がされているということは読ませていただきましたが
記事を書く際に断定し過ぎてしまいました。
でも般若心経のなかで「空」を取り上げられたのは流石だと思いました。
リンク先や誰かの教えを羅列してない分、コンパクトでシンプルですね。
今回の記事やそちらでのコメントは
ず~と昔にカジっていたこともあり、その当時考えていたことを
用語の意味や使い方をネットで確認しながら当てはめていっただけなのです。
みんなのブログやその時のあしあとで時々拝見させていただいております。
確かに掛け軸ありますね。
作者の意図は明らかにされていないようですが。
(空の持つ縁起において)”縁起には時間的な縁起と空間的、あるいは論理的縁起があり”
こうした考えの切り口に新鮮なものを感じました!※この考え、ここで初めて知りました。
自分の理解や応用はさておき、個人的に良い記事を見せていただいた…ので感謝を書きたくなり〆
独断、独自解釈による乱暴な理論であります。
「時間」は縁起の理法や色即是空空即是色を理解するためのツールや方便なのかもしれません。