続きます。
天満川です雨に煙っています、天満橋も古るそうです。
この辺りは、花街?がにぎやかだったようで「婦人病」の医院もたくさんあります。
浄土真宗専門書が売られているそうです。
頼山陽煎餅「藝陽堂」
堺町2丁目に店を構える「藝陽堂」は、明治44年に創業者が新たな広島土産にと考案したことによります。
昭和27年に当地に移転し、芸陽の儒者頼山陽に因み、店主の平室賢氏が丁寧に焼き上げています。
土橋電停 → 昔土橋があった。
アンテークな趣の酒場?
出雲石見街道の分岐点
西国街道の堺町1丁目から、北へ1本の脇往還が分岐します。
出雲石見街道(出雲路)と呼ばれる街道です。
「廃屋」草に覆われた、随分と立派な廃屋です。
浄土宗「浄国寺」
平安時代の仏像があり、本堂へも上がらせていただきました。
”なむあみだぶつ”と10回唱えます。
墓地へでました、雨がひどくなってきました。
被爆墓か分かりませんが、無縁墓かたくさん集められた脇に、宮島で有名な「誓真釣り囲」の井戸の誓真さんの墓がありました、
(みやじましゃもじを考案した人)
本川へ出ました。
土手の「夾竹桃」が綺麗です。
本川橋と雁木跡(・・・がんぎあと)
太田川の本流=本川に架かる橋で、西の堺町と東の中島本町を結んでいます。
16世紀末期に当地の豪商の猫屋九郎右衛門兼鎮は、私財を投げ出し掛けた橋。
本川橋の橋脚下には、毛利輝元の島普請による石組が残り、雁木作りの揚場や、舟繋の石柱や船舶の
繰り場が護岸に設置され、今も遺構として存在しています。
己斐へ続く西国街道です。
元柳町(中島本町)
戦前の説明板です。
「原爆の子の像」 → 佐々木貞子さん像
「レストハウス」 旧大正屋呉服店跡
現在の広島市レストハウスは、元は国立三四銀行の跡地であり、大正末期に至り呉服店が開業しました
少し休憩させていただきました。
「元安橋」 → 欄干には元のデザインが施されています。
遊覧船の「乗り場」が見えました。
広島市道路元標
元安橋の東詰に植裁に隠れて石柱があります。
これが広島市道路元標で、江戸時代以来の里程の基点となっています。
これから西国街道に従って、東西に一里塚が置かれ、上方江戸や九州へと繫がっていました。
午後五時、ここで今日の歴史街道散策も終了です。
途中、雨も降ったり、降ったでしたが、皆さんよく歩きました。
8600歩、5kmのスマホ歩数計です。
地下街シャレオでの記念撮影で解散でした。
皆さんお疲れ様でした!