中央公園西側 河岸緑地(基町ポップラ通り)で行われた「砂持加勢祭」に
行きました。
ステージ発表・パレード・遊びのコーナー・バザーなど

「砂持加勢」
それは幕末の広島城下でただ一度行われたお祭りの再現です。
(広島の町は太田川の三角州に築かれた太田川の恩恵を受けて発展しました。
一方で、放っておくと川床に砂がたまり、舟の運航の障害になったり洪水を起こしたり
など太田川は城下町の脋威になりました。
広島藩では町民に命じて定期的に川ざらえを行わせましたが、これは町民にとって大変な
重労働。
で、時は幕末の文久2年(1862)、町衆が藩に願い出て川ざらいを応援するため、
各町が山車を繰り出し幟を建てお祭り騒ぎをしました。
これが「砂持加勢」
水の都広島らしい、町衆のお祭りです)、チラシの説明より。
メインステージでプログラムに従って鑑賞しました。

「白島碇太鼓」「広島木槍保存会」「牛田青年会 太鼓」「ひろしま紙芝居村」
「リズムダンス 袋町児童館」・・・






「牛田青年会 太鼓」に続き、
「砂持加勢」の紙芝居で歴史を知り、
昔、白島一角が「一本木町」と言われていた事を知りました。
「一本木踊り」楽しい踊りです。


「リズムダンス」袋町児童によるはつらつダンスの発表です。


ステージの発表が終わりました。
皆さんどのグループも大活躍の発表です。
会場の一角の「飲み食い広場」です。

11:30に 広島城2の丸を出発した山車パレードが入場してきました
長くなりますので「続き」ます。
行きました。
ステージ発表・パレード・遊びのコーナー・バザーなど

「砂持加勢」
それは幕末の広島城下でただ一度行われたお祭りの再現です。
(広島の町は太田川の三角州に築かれた太田川の恩恵を受けて発展しました。
一方で、放っておくと川床に砂がたまり、舟の運航の障害になったり洪水を起こしたり
など太田川は城下町の脋威になりました。
広島藩では町民に命じて定期的に川ざらえを行わせましたが、これは町民にとって大変な
重労働。
で、時は幕末の文久2年(1862)、町衆が藩に願い出て川ざらいを応援するため、
各町が山車を繰り出し幟を建てお祭り騒ぎをしました。
これが「砂持加勢」
水の都広島らしい、町衆のお祭りです)、チラシの説明より。
メインステージでプログラムに従って鑑賞しました。

「白島碇太鼓」「広島木槍保存会」「牛田青年会 太鼓」「ひろしま紙芝居村」
「リズムダンス 袋町児童館」・・・






「牛田青年会 太鼓」に続き、
「砂持加勢」の紙芝居で歴史を知り、
昔、白島一角が「一本木町」と言われていた事を知りました。
「一本木踊り」楽しい踊りです。


「リズムダンス」袋町児童によるはつらつダンスの発表です。


ステージの発表が終わりました。
皆さんどのグループも大活躍の発表です。
会場の一角の「飲み食い広場」です。

11:30に 広島城2の丸を出発した山車パレードが入場してきました
長くなりますので「続き」ます。