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「JR秋の乗り放題パス」 三江線の旅  2

2017-10-11 15:30:10 | JRウオーク
  江津駅前「江津市情報センター」で貰ったガイドマップで「天領江津本町甍街道」を散策しました。

  駅前から少し歩き、新江川橋を横目で見ながら江津本町へ入りました。
 
  仲間の知り合いの「Yさん」の案内で歩きます。

  町中で見かけた道端の「花」です。
  (後で、ランタナ」と分かりました)

 


 「江津市」のマンホールの蓋です。

 


 「空き家」かと?
 (案内のYさんが!”電気のメーターが動いてるよ”)

 


  「江津本町」は古くから江の川の舟運と日本海の海運の要所として栄え、寛文年間に上方
  航路が開かれと北前船の帰港地や天領米の積出港として川岸には4,50隻の帆船が林立
  し混雑しました。
  多くの回船問屋の蔵屋敷が並び、山陰道が貫き、東は大森銀山、西は浜田へと向かっており、当時は大森銀山に次ぐ、石州赤瓦の光輝く天領の町でした。


 「花田医院」→ 国の登録有形文化財
 黄色の屋根瓦の建物が花田医院。
 (昭和9年、軍服がカーキ色(国防色)定められた影響か?)

 
 

 この辺りは、軒を低くした建物が目立つ。
 歴史と地域の重要性を物語る「天領」と赤瓦の輝く町、全国的な知名度の生産量を誇る
 石州瓦の主産地、「夢と瓦」の「天領江津本町甍街道」として町づくりに保全され創造されています。

 


 
  


  


 


 


 


 「観音寺」→ 臨済宗
  足利直冬の建立と伝えられる。
 (何故か階段に白衣に包んだ遺骨が有った)

 


  「海抜4m」

 
 


 「山辺神社 」
  創建は、利徳天皇の白薙3年(652)で、当時は島の星山の中腹にあったと伝えられる
  社殿は昭和47年の豪雨災害に遭い、同50年に整備されました。

 


 


 町のあちこちに、「カメ」=「はんどう」が見かけられます。

 「島根県」のマンホールの蓋です。

 


 「旧山陰道」らしき道を歩きます。

 


 「土床坂」→つっとこさか
 旧街道(山陰道9の面影を残しているこの場所は土床坂と呼ばれています。
 丸みがある自然石を幅2メートルぐらいに敷き詰めてあります。
 (今日は草が覆い尽くしていました)
 
 


 
 



 峠には石造りの標柱があり「従是西浜田領」と刻まれています。
 本町が江戸時代に天領であったことを示しています。
 (時間の関係で峠までは行きませんでした)

 途中の草花「セイタカアワダチソウ」
 民家の「キンモクセイ」。

 


 


 「長州藩士の墓」「陣屋」と巡りたかったのですが、少し山に入ったかと思ったら
 そこは「江津本町駅」でした。
 約、2時間弱の「江津本町甍街道」の散策でした。
 案内の「Yさん」が居てくれてよかったです。
 
 「江津本町駅
 昭和33年に無人駅として開業されました、

 


 


 


 
 


 江津本町駅
 16:33 → 帰路のため駅、出発です、

 


 浜原駅 
 18:28 到着。

 


 


 浜原駅で30分の待ち時間がありました。
 辺りは真っ暗です。
 1軒の明かりの点いた「商店」らしき家の住人が戸を開けてくださいました。
 夜のお弁当を調達する積りが「お店は止めたんよ」と言ってコンビニも何もない田舎の事で
 可愛そうに思われて、「パンが2個あるから上げよう」
 と言って下さり、申し訳なかったのですが頂きました。
 後で、皆さんと分け合って食べましたが、「仏さま」の様に見えた「91才」の
 可愛らしい「おばあちゃん」でした。

 
 


 浜原      三次
 19:01 → 20:40    広島
         20:43 → 22:21 

 帰路は 三次駅で乗換時間3分しかなくて、芸備線「広島行き」に飛び乗ったのです
 広島駅まで2時間弱、おしゃべりと、睡眠とで今日の「三江線」の旅も終わったのです。
 三江線も利用者が激減し廃線の憂目となりますが、立ち寄った川本の町、江津の町。
 静かな田舎の町でしたが、優しさと人情の町、山陰の風情にかいま、触れた気分です。

 お世話になった世話役のKさん、Kさんの知り合いのYさん、同行の仲間の皆さん、
 ありがとうございました。

 「鉄道記念日切符」の代わりの「秋の乗り放題パス」も無事終わりです。
                         - END -