続きます、
◎ 安川緑道
安川緑道は、安川の付け替えによって廃川となった旧安川の河川敷を利用した緑道である
中須から廃川敷のうち、武田山橋(祇園1丁目付近)までの約3,1kmの区間が緑道として整備されている。
帆掛船の形をしたトイレもあるようです。
● 旧安川に架かっていた橋の痕跡があります。
「ニハセキショウ」が咲いています。
◎ 可部軽便鉄道跡
JR可部線の前身となった軽便鉄道の線路敷跡です。
明治44年(1911)に横川~可部間で開通した、山陽鉄道(現JR山陽本線)などより軌道幅の小さい規格の鉄道で、馬力も小さく急な上がり坂では乗客 が列車をおりて後押ししたこともあったそうです。
◎ 久保山神社
ご祭神 : 大山津見神 大穴牟遲神
天文年間(1736~)に建築したものと考えられる庄屋格の家の跡、
「芸藩通志」「中筋古市村絵図」で山王として記録がある。
3本の大銀杏が特徴的、浅野藩の家紋の入った手水舎が奉納されている。
(拝殿では、皆さんの家内安全を祈願して先生がノリトをあげてくださいました)
◎ 雲石街道 → 蔵や木造家屋の残る旧雲石街道
◎ 石畳
麻造りが盛んだった明治から大正にかけて、古市の町には煮扱屋と呼ばれる麻の繊維工場が50軒ほどあった。
この石畳を降りたところが古川の河原だったころは、ここで麻の繊維を干したと言われている。
石垣の側の「どくだみ」です。
◎ 中古市一里塚跡 → 道路元標から、2里に当たる。
(丁度バス停に当たり、皆で説明を聞いていたら、バスが来て止りり乗客と間違えられるハプニングもありました)
◎ 浄宗寺
天正年間(1573~1591)僧浄具が開基し、当時は天台宗だった
元禄4年(1691)5月に時の住持寿礼(県史では寿福と記載)が改宗して真宗となる
明治35年(1902)に、旧国道に面した現在の地に移って来た。
◎ 薬師寺分詞
国道183号古市交差点の東側に薬師寺の分詞が置かれ、地蔵尊が安置されている。
◎ 八木用水
江戸時代中期に開削された延長約16kmの農業用水路。
南下安の大工卯之助が中心となって工事を行った。
◎ 古市橋駅
古市橋 安川に架けられた橋で軽便鉄道がこの橋の北側部分を利用していた。
古市橋今昔の説明板。
※ 午後4:45 ここで今日の散策会は終了です。
一部、前回回った所もありましたが、好天気で暑かったです。
古代山陽道(推測)と思われる安川通り、雲石街道と歩きました。
「歩けば歴史が見えてくる」
あさみなみ散策マップを見ながら、先生のガイドを聞きながら、楽しかったです。
10800歩、6,3kmのマホの歩数計です。
皆さんお疲れ様でした。 END
おまけ
JR可部線で16:58発で「新白島」まで帰りました。
ホームで「マツダスタジアム」へカープの応援に行く家族です。
(撮影許可を取っています)
因みに当日のカープは対DeNA 9対2で勝利です!
◎ 安川緑道
安川緑道は、安川の付け替えによって廃川となった旧安川の河川敷を利用した緑道である
中須から廃川敷のうち、武田山橋(祇園1丁目付近)までの約3,1kmの区間が緑道として整備されている。
帆掛船の形をしたトイレもあるようです。
● 旧安川に架かっていた橋の痕跡があります。
「ニハセキショウ」が咲いています。
◎ 可部軽便鉄道跡
JR可部線の前身となった軽便鉄道の線路敷跡です。
明治44年(1911)に横川~可部間で開通した、山陽鉄道(現JR山陽本線)などより軌道幅の小さい規格の鉄道で、馬力も小さく急な上がり坂では乗客 が列車をおりて後押ししたこともあったそうです。
◎ 久保山神社
ご祭神 : 大山津見神 大穴牟遲神
天文年間(1736~)に建築したものと考えられる庄屋格の家の跡、
「芸藩通志」「中筋古市村絵図」で山王として記録がある。
3本の大銀杏が特徴的、浅野藩の家紋の入った手水舎が奉納されている。
(拝殿では、皆さんの家内安全を祈願して先生がノリトをあげてくださいました)
◎ 雲石街道 → 蔵や木造家屋の残る旧雲石街道
◎ 石畳
麻造りが盛んだった明治から大正にかけて、古市の町には煮扱屋と呼ばれる麻の繊維工場が50軒ほどあった。
この石畳を降りたところが古川の河原だったころは、ここで麻の繊維を干したと言われている。
石垣の側の「どくだみ」です。
◎ 中古市一里塚跡 → 道路元標から、2里に当たる。
(丁度バス停に当たり、皆で説明を聞いていたら、バスが来て止りり乗客と間違えられるハプニングもありました)
◎ 浄宗寺
天正年間(1573~1591)僧浄具が開基し、当時は天台宗だった
元禄4年(1691)5月に時の住持寿礼(県史では寿福と記載)が改宗して真宗となる
明治35年(1902)に、旧国道に面した現在の地に移って来た。
◎ 薬師寺分詞
国道183号古市交差点の東側に薬師寺の分詞が置かれ、地蔵尊が安置されている。
◎ 八木用水
江戸時代中期に開削された延長約16kmの農業用水路。
南下安の大工卯之助が中心となって工事を行った。
◎ 古市橋駅
古市橋 安川に架けられた橋で軽便鉄道がこの橋の北側部分を利用していた。
古市橋今昔の説明板。
※ 午後4:45 ここで今日の散策会は終了です。
一部、前回回った所もありましたが、好天気で暑かったです。
古代山陽道(推測)と思われる安川通り、雲石街道と歩きました。
「歩けば歴史が見えてくる」
あさみなみ散策マップを見ながら、先生のガイドを聞きながら、楽しかったです。
10800歩、6,3kmのマホの歩数計です。
皆さんお疲れ様でした。 END
おまけ
JR可部線で16:58発で「新白島」まで帰りました。
ホームで「マツダスタジアム」へカープの応援に行く家族です。
(撮影許可を取っています)
因みに当日のカープは対DeNA 9対2で勝利です!
ひろしま歴史散策の後半で、印象的なのは石垣と石畳です。
不規則に並べられた石畳の小道は情緒がありますねぇ。
そこに咲くドクダミの花も見逃すことなくウォッチングされたようです。
最後は地元カープの応援に出かける家族に出会われ、
おまけにカープの勝利と良いことずくめだったようです。
あっ!! おまけに勝ったなんていったら怒られますね・・・。
当然の勝利といい直します。
いつだったか、この石積みはNHK広島の夕方の時間帯に紹介されていました。
続いてありがとうございます。
この石畳は、明治、大正頃はここ古市は「麻」の生産地だったようで、この石畳で荷車に積んだ麻を河原で洗って干したようです。
滑らないように工夫したのでしょうね~。
石組はその蔵の石垣です。
昨日は、ナゴヤ、延長でやられました。(残念)
この石畳はこの辺りでは唯一残っている明治、大正時代の痕跡です。
雲石街道沿いのこの辺りは「麻」の製造で賑わっていたみたいですね!。
実物を見て味わって見てくださいね~。
歴史が見えて来ますよ。
これ先生の受け売りです。(笑)