3月、楽しみにしていた「第10回 あさきた神楽発表会」に行く。
安佐北区民文化センターで行われた安佐北区の魅力づくり、
旧舞がある、新舞がある、あさきたには、神楽がある。
1、「神降ろし」 諸木郷土芸能保存会 (落合)
諸木一二神祇神楽は、神事を一二の舞により表現しています
諸木の舞は、昔の舞そのものを代々継承しています。
神降ろしは、秋祭で神楽を奉納するときに、舞台を神聖な神の座とするために清め払い、神の御降臨を請合う、最初の大切な舞です。
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2、「源頼政」 亀山子供神楽(亀山)
感謝の気持や挨拶をモットーに、神楽の厳しさや歴史にふれ、皆さんに喜んで頂けるような神楽で地域活性化していきたいと活動しています。
平安時代末期、毎夜丑の刻になると、帝はひどくうなされ、病魔に侵されてしまいます。
何者ともつかぬ相手の退治を、帝は弓の名手として名を馳せていた源頼政に命じます。
頼政は弓に山鳥の尾で作った尖る矢をつがかえ”南無八幡 大菩薩”と念じ、矢を放ちます。
すると奇妙な声をあげ、庭先に落ちてきたのは、頭は猿、身体は狸、尾は蛇、手足は虎の奇怪な獣、鵺えあったという物語です。
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(大人顔負けの立派なものです、よく練習されています)
3、「天岩戸」 飯室神楽団 (安佐町飯室)
山県舞(矢上系六調子)、高田舞(阿須那系八調子)の両派の異なる両舞を伝承しています。
弟神、須佐之男命の乱行を悲しまれ、岩戸に籠られた天照御大神をお出しするため、高天原に集まった神々の天児屋根命と天太玉命は協議の末、岩戸の前で天宇津女命に神楽を舞わせました。
天照大御神が何事かと岩戸を少し開けてそとの様子を見ようとされたところを、天手力男命が力まかせにこの岩戸をこじ開けて、天照大御神をお出ししたため、世界に再び光がよみがえったという物語です。
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(旧舞です、昨夜の寝不足のためか?眠くて~睡魔と闘っていました)
4、「頼政鵺退治~赤蔵ヶ池」 亀山神楽団 (亀山)
亀山神楽団の歴史は、昭和47年に神楽経験者数名が集まり、亀山地区で同好会を作って活動を始めのが始まりです。
昭和61年には、現在の「亀山神楽団」に改め、20数名で活動しています。
平安時代の終わり頃、伊予の国で隠棲い(俗世間を逃れて静かに暮らすこと)の身となっていた頼政の母・八重桐は常に息子・頼政の武勲を祈り、山名赤蔵ヶ池へと通いました。
その池には、化生のものが住まい、八重桐は頼政の武勲を挙げる事が出来るなら、自らが鵺となり、命を捧げることを約束します。
鵺とは牛の体に猿の頭を持ち、手足は虎で尾は蛇に似て虚空を飛ぶ化生の者ですが、自らが鵺となった八重桐は「頼政」に立ち合いの末、我が身をフタツノの梶矢で打ち取らせます。
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(初めて見た神楽でした、興味深いものがあります)
5、「大森彦七(全編)」 綾西神楽団 (可部町綾ヶ西)
綾西神楽団は、1981年(昭和56年)12月、広島市安佐北可部町綾ヶ谷に「綾西神楽同好会」として発足しました。
足利尊氏は湊川の戦いに敗れた楠木正成、政季追打を大森彦七に命じ、政季は討たれ、正成は自害した。
彦七は尊氏より領地を授かり、一躍豪族となり豪遊、猿楽にうつつをぬかした。
ある日、彦七は金蓮寺に^の春祭りへ向かう途中、千早姫と出会い、姫を背負い矢取川を渡るが、姫の正体は楠木正成の霊魂であった、¥。
家来たちは彦七を助け、大般若経の教えを持って霊魂を調伏したという物語です。
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(以前見たように思いましたが、確かな記憶がありません。)
ここで、40分の休憩です、2Fの休憩ルームで昼食弁当にしました。
続きます・・・
安佐北区民文化センターで行われた安佐北区の魅力づくり、
旧舞がある、新舞がある、あさきたには、神楽がある。
1、「神降ろし」 諸木郷土芸能保存会 (落合)
諸木一二神祇神楽は、神事を一二の舞により表現しています
諸木の舞は、昔の舞そのものを代々継承しています。
神降ろしは、秋祭で神楽を奉納するときに、舞台を神聖な神の座とするために清め払い、神の御降臨を請合う、最初の大切な舞です。
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2、「源頼政」 亀山子供神楽(亀山)
感謝の気持や挨拶をモットーに、神楽の厳しさや歴史にふれ、皆さんに喜んで頂けるような神楽で地域活性化していきたいと活動しています。
平安時代末期、毎夜丑の刻になると、帝はひどくうなされ、病魔に侵されてしまいます。
何者ともつかぬ相手の退治を、帝は弓の名手として名を馳せていた源頼政に命じます。
頼政は弓に山鳥の尾で作った尖る矢をつがかえ”南無八幡 大菩薩”と念じ、矢を放ちます。
すると奇妙な声をあげ、庭先に落ちてきたのは、頭は猿、身体は狸、尾は蛇、手足は虎の奇怪な獣、鵺えあったという物語です。
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(大人顔負けの立派なものです、よく練習されています)
3、「天岩戸」 飯室神楽団 (安佐町飯室)
山県舞(矢上系六調子)、高田舞(阿須那系八調子)の両派の異なる両舞を伝承しています。
弟神、須佐之男命の乱行を悲しまれ、岩戸に籠られた天照御大神をお出しするため、高天原に集まった神々の天児屋根命と天太玉命は協議の末、岩戸の前で天宇津女命に神楽を舞わせました。
天照大御神が何事かと岩戸を少し開けてそとの様子を見ようとされたところを、天手力男命が力まかせにこの岩戸をこじ開けて、天照大御神をお出ししたため、世界に再び光がよみがえったという物語です。
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(旧舞です、昨夜の寝不足のためか?眠くて~睡魔と闘っていました)
4、「頼政鵺退治~赤蔵ヶ池」 亀山神楽団 (亀山)
亀山神楽団の歴史は、昭和47年に神楽経験者数名が集まり、亀山地区で同好会を作って活動を始めのが始まりです。
昭和61年には、現在の「亀山神楽団」に改め、20数名で活動しています。
平安時代の終わり頃、伊予の国で隠棲い(俗世間を逃れて静かに暮らすこと)の身となっていた頼政の母・八重桐は常に息子・頼政の武勲を祈り、山名赤蔵ヶ池へと通いました。
その池には、化生のものが住まい、八重桐は頼政の武勲を挙げる事が出来るなら、自らが鵺となり、命を捧げることを約束します。
鵺とは牛の体に猿の頭を持ち、手足は虎で尾は蛇に似て虚空を飛ぶ化生の者ですが、自らが鵺となった八重桐は「頼政」に立ち合いの末、我が身をフタツノの梶矢で打ち取らせます。
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(初めて見た神楽でした、興味深いものがあります)
5、「大森彦七(全編)」 綾西神楽団 (可部町綾ヶ西)
綾西神楽団は、1981年(昭和56年)12月、広島市安佐北可部町綾ヶ谷に「綾西神楽同好会」として発足しました。
足利尊氏は湊川の戦いに敗れた楠木正成、政季追打を大森彦七に命じ、政季は討たれ、正成は自害した。
彦七は尊氏より領地を授かり、一躍豪族となり豪遊、猿楽にうつつをぬかした。
ある日、彦七は金蓮寺に^の春祭りへ向かう途中、千早姫と出会い、姫を背負い矢取川を渡るが、姫の正体は楠木正成の霊魂であった、¥。
家来たちは彦七を助け、大般若経の教えを持って霊魂を調伏したという物語です。
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(以前見たように思いましたが、確かな記憶がありません。)
ここで、40分の休憩です、2Fの休憩ルームで昼食弁当にしました。
続きます・・・
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