かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

自然史博物館(3)

2016-02-24 20:43:36 | 旅行
この3階(日本式には4階)には、頭蓋骨のように一般には展示できないと思われるものの他に、
修復作業を待っていたり、新たに加えられたりした展示物の保管場所となっているようだ。

狭い通路を通り、博物館の裏側を見て回る。
わたしの母校には美学美術史学科という学科があり、そこでは学芸員の資格が取れる。
他の学科でも必要な科目を履修し、実習を終えれば資格が取れるのだった。
わたしが高校・大学時代になりたかった職業は
図書館司書
学芸員
化石を掘る人
だった。
所属していたのは英文学科だったが、学芸員の資格を取りたいと思っていた。
しかし、教員免許との両立が難しく、学芸員の方は断念した
それでも博物館や美術館は大好きなため、こうして展示する前の段階や、
裏側が見られるのはたいへん面白い。

ペーター博士の説明は、すべて英語である。
わたしは確かに英語の勉強を長くしてきたが、実際の運用には(大きな)不安がある
なんてみっともなくて他の人には言えない
説明を聞き漏らすまいと、いつになく真剣に聞くことになる。

非常階段のような造りの階段を上がると、屋根裏に出る。
ここから扉を開けて、屋根の上に出る。
そして、グラーツに引き続いて、わたしの旅の伝説が炸裂する
扉を開けたら、外は雨だった
そういうときのために用意してある傘を借りて、狭い扉を抜けて外に出る。
わたしが借りたのは、黄色い子ども用の傘であった。
(太っているが)一行の中でわたしが一番背が低いからだろう。

自然史博物館(2)

2016-02-23 21:24:19 | 旅行
わたしが参加するツアーは、この写真の下から2つ目の項目である
NHM The View from the Roof(屋根の上ツアー)である。

このツアーの存在を知ったのが、とあるガイドブックであった
それまでは、隣接する美術史博物館と比べると地味な存在だった自然史博物館を有名にしたガイドツアーである。
日本を出る前に、あらかじめホームページを見てツアーが開催される曜日や時間を調べておいたのだ
ドイツ語のツアーが水曜日と日曜日の週2回、英語のツアーが日曜日に1回である。
もちろん、わたしが参加するのは英語のツアーである。

間もなく午後3時になろうかという頃、集合場所に何人か集まってくる。
ガイドは、ペーターさんという方で、ネームプレートを見たら、Ph.Dとあったので博士である。
参加者は、オーストラリア人母娘(娘さんは20~30代か)、
ポーランド人父子(息子さんは高校生くらい)、
ケニア人カップル(2人とも30歳前後)、わたしの計7人である。

集合場所から正面階段を上がって、ツアー開始となる。

中2階にさしかかった所で、もうひとりの参加者が階段を駆け上がってくる。
ペルーから来た方だそうだ(女性)が、どうも見た感じからして韓国系のようだ。

さらに階段を上がると、1階(日本式には2階)に着くが、さらにその上へと上がっていく。
到着したのは3階(日本式には4階、とても高いところにある)である。

この博物館の略称NHMは、Naturhistorisches MuseumのNとHとMをとったものである。
この3階の部屋には鍵がかかっている
ペーター博士が鍵を開けると、そこには恐るべきものが所蔵してある
4万体を越える人骨である
棚には頭蓋骨がずらっと並べてあって、壮観である。
年齢や性別もまちまちである。
いつの時代の、どこの人のものか、一つ一つ記入してある。
時代は16~18世紀が、場所はヨーロッパ(特に墺国がかつて領有していた中欧)が多いようだ。
話を聞いていると、ペスト大流行の頃の人骨もあるらしい。
驚くべきことに、アフリカの人のものもあった。
残念なことに、アジア人のものはないそうだ。
「日本人のものはないのですか?」とペーター博士に聞いたら「残念ながらありません」と言われた。
そのやり取りを聞いて、ケニア人の兄さんが大ウケしていた

幅跳びか高跳びか

2016-02-22 22:22:41 | フィギュアスケート
昨日は(結果はわかっているのだが)四大陸選手権の男子フリーを見てしまった。
その後、動画をあさっているうちに、眠くなってきてブログを書けなかったのである
今も、『ファイアーダンス』の音楽が頭の中で鳴っている

フィギュアスケートのジャンプには、表題の2タイプあると思う。
幅のあるジャンプを跳ぶか、高さのあるジャンプを跳ぶかに二分されるのではないだろうか。
もちろん、両方を兼ね備えた選手もいるので、きっちりと分けられるわけではないが、
たいていはこのどちらかの特徴が強く出ると思う。
幅のあるジャンプは、豪快だけれども、転倒も派手である。
高さのあるジャンプは回転が速いけれど、着地が詰まったり、回転不足になりやすい。
わたしは、どちらのジャンプが好きとは言えない。
それぞれの選手が自分のジャンプの特徴を知った上で、長所を生かしているのなら、どちらでも良いと思う。

ところが、わたしがこれまで好きだった選手の多くが、幅跳び型である。
一番好きな(元)選手のシニアデビューが2004~2005年のことだが、
そのシーズンのヨーロッパ選手権と世界選手権の動画を見ることができた。
また、翌シーズンのトリノ五輪の映像は、ビデオに録画してある。
(保存に不安があるので、DVDにダビングした
その映像を見る限り、昔からジャンプの質は良かったように思う。
特に、シニア2年目のトリノ五輪のSPでは、3回転のルッツとフリップの両方が入っていて、
しかも片手を上げて跳んでいた。
手を上げて跳ぶのは、難易度が上がるのである。
アクセルだけは2回転だったが、このアクセルの苦手なことが最後まで堪えた
どれも幅のある大きなジャンプだった。
ただし、スピンやステップははっきり言って雑だった
17~18歳の頃なので、若さと勢いで滑っていたようだ。

アメリカを拠点にしてからは、滑りの質が格段に上がったのだが、
鼠径部や膝の故障もあって、ジャンプでノーミスがあまりなかったのが残念だ
(数少ないノーミス演技の1つが、2013年のユーロのSPだった)
くどいようだが、決まれば本当に幅のある、なおかつ流れのあるジャンプだったのだ。
引退して間もなく2年になるが、あの美しいルッツが見られないのは悲しい

現在はスケートの先生になっているのだが、教え子のピーター君がこれまた幅跳び型である。
先月の全米ノービスでは、どちらかというと高跳び型の選手が多い中で、
金銀メダルの2人は、幅のある大きなジャンプだったように思う。
ピーター君はもう少し着地が流れると加点がもっと付くような気がする。
ついでに言うと、スピン以外の他の部分(ステップや繋ぎの滑り)までこの師弟はそっくりである。
やはり、教えた通りに生徒は実行するものである

二年目に突入

2016-02-20 23:12:44 | 日記
先ほど、PCのメールを見て、自分が一年前にブログを始めたことに気づく。

この一年書いてきたことと言えば
3年前のウィーン(およびドナウ川付近)旅行記
一昨年のグラーツ・ウィーン旅行記(現在継続中)
思い切り自分の趣味に走ったフィギュアスケートのこと
が主だったように思う。

自分の私生活についてあまり書いていないのは、
プライバシーをそこまで明らかにしたくないのもあるのだが、
何と言っても人様に自慢できるような生活ではないからだ
わたしの仕事は基本的に月~金曜日の朝から夕方までが勤務で、
土日や祝日が休みである。
仕事内容については、明かすつもりはない
平日も休日も朝6時半に起きて、一日3食きちんと食べて、夜は11時に寝る
病気を抱えているので、夜の外出は控えている。
こんなに規則正しい生活を送っているのに、どうして痩せないのだろう

わたしが抱えている病気は、緑内障である。
一昨年の暮れ、眼鏡を作り替えるために眼科に行って、そこで発症していることがわかった。
実はその前、勤務先での健康診断で、『右の眼圧が高め』と言われていたのだが、
たいしたことはないと思って受診しなかったら、この通りである
幸い軽度と言うことで、点眼薬の治療で済んでいる。

以前、ネットのニュースを見ていたら、某歌手の奥さまがこの病気だと知った。
そのニュースには『難病』と書かれていたので、ちょっと驚いた。
確かに治らない病気なのだが、命に直接関わるわけではないので、難病という表現には違和感がある。
現在は「そうか、難病なのか…。まあ、気長に付き合うしかないか」という心境である。

2年目は、現在書いている旅行記(もうすぐネタが尽きる)の他に、
もう少しスケートのことやその他のことを書きたいと思っている。
また海外に旅行したいのだが、仕事の忙しさや金銭面での問題を考えると、
今年も難しそうな気がする(悲しい

ところで、これは昨日貼り忘れた写真である。

今回のユース五輪でも、やはりアンバサダーか何かの仕事をしているようだ。

このマスコットキャラクターを見よ(続)

2016-02-19 22:03:46 | フィギュアスケート
Yoggl君の仕事をもう一つ(昨日書き忘れ)
客席に入って、客を煽ることである

良く見ると、後ろの方の電光掲示板にもYoggl君がいる。

インスブルックで開催されたユース五輪は、冬季大会はこれが第1回目の開催であった。
そのため、彼は墺国のあちこちでプロモーションを行っていた。
これは、モーツアルトの生誕地のザルツブルクを訪れたときの写真。
一緒に写っているのは、モーツアルト玉の宣伝用看板である。
(ちなみに、最大手のミラベル社の看板)


街中では、このように子どもたちとスケートを楽しんでいる。
彼が手にしているのは、ペンギンの人形である

動画で見ると、結構スケートが上手い

ザルツブルクに関しては、わたしの好きな(元)選手が、2年前の墺国マスコミのインタビューにて
「冬季五輪の開催地に立候補すればいいのに」というようなことを言っていた。
実際に開催するとなると、施設や資金の問題もあり、実現は難しそうな気がする。

動画には、こんなシュールな場面もある。
これは、リュージュがYoggl君の形(というか着ぐるみをかぶせてある)なのである。


この大会のアンバサダーは、Yoggl君の両隣の2人である。

向かって右側にいるのは、バンクーバー五輪女子フィギュアスケートの金メダリストのキム・ヨナさんである。
この時は、シーズン全休だったが、ユース五輪のアンバサダーや平昌五輪の誘致活動など
リンクを離れても大活躍であった。
(なお、今年のスペシャルオリンピックスのアンバサダーもつとめている模様)

Yoggl君はヨナさんと仲良くなった模様なのに、とある動画ではアイスホッケー対決をしている。

こうして見ると、ヨナさんは痩せていても脚の筋肉がすごいことがわかる。

最初は和やかに楽しんでいたのに、最後にはこの通り


Yoggl君は、ヨナさんの他にも、スキーのリンゼイ・ボン選手などと一緒に動画を撮っている。

日本人の感覚からすると、可愛いと言っていいのか迷うキャラクターだが、
これが墺国クオリティだと思う