かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

ウィーン軍事史博物館(38)

2015-12-31 14:40:41 | 旅行
カレンダーの隣には、このような展示がある。

表題は『ドイツ式へ向かう東欧料理』(←わたしの拙いドイツ語ではこんな意味になる)とある。
シルエットになっている地図は、良く見ると現在のウクライナやバルト3国のあたりである。
そこは、第二次大戦中の東部戦線のあった場所で、ドイツとソ連が奪い合った場所でもある。

本の中身はこんな感じで、料理本かと思っていたら解説本のようである。
左側のページの表題は『家禽(主に鶏肉)』、右側は『鳥獣肉(野生)』となっている。
太字で書いてある部分だけ読むと、焼くとか煮込むとかいう意味だから、
調理法の説明なのだろうか。
左側(36ページ)の挿絵は、ヨーロッパの農家のようである。


これは本の中表紙だろう。
レシピと手引き書と書いてある。


これは展示室出口付近にある旗である。
真ん中の紋章は、ケルンテン公国(オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝直轄領)のものである。


展示室からホールに出ると、このような展示がある。
2013年に新たに加えられた展示物らしい。


150年くらい前に建てられた建物のため、トイレのドアまで古めかしい。
なお、中は普通の水洗トイレである。


この階段を上がると2階(ヨーロッパ式では1階)に行ける。

2階には30年戦争から19世紀中頃の展示室があるのだが、
わたしは2階には展示はないのだと思い込んでいて、行かなかった。
何の展示があるのかを知ったのは、帰国してからである。
つくづく勿体ないことをしたものである


このブログは、1月1日と2日は休載します。
では皆さん、よいお年を


ウィーン軍事史博物館(37)

2015-12-30 14:52:07 | 旅行
これまた大きな曲射砲である。

この先から武器や兵器ではない戦争関連の品々の展示となる。

これは、何かの修復作業のために使われた道具のようだ。
真ん中と右に何かの書物のようなものがある。


この本のタイトルは『帝国の橋』である。
年号からすると、このあたりの展示物は、二つの大戦間のもののようだ。


これは絵本のような漫画のような本である。
主人公の着ている軍服が、これまでのよりもずいぶん軽装である。


中身はこんな感じ。
軍隊のこととか、戦争に向かっているご時世を反映した内容のようだ。


それにしても、左下のなまめかしい女性は、いったい何なのだろうか。


写真の腕が悪すぎて、画像がぶれたりぼけたりしている。


主人公Tigerの身につけている物や手にしている物が物騒である。


これは1943年の『国防軍カレンダー』である。
ドイツに併合されて、墺国という国は存在しなかった頃のものである。
当時は『Ostmark(オストマルク)』と呼ばれていたのだ。


カレンダーの中身がこちら。
1943年の1月第2週である(週めくりカレンダーなのだろう)。
写真は花見をする人たちかと思ったら、雪の積もった木と装甲戦車だった。

ウィーン軍事史博物館(36)

2015-12-29 19:04:49 | 旅行
これは旗のような布である。
真ん中には墺国の国章があり、周りにはメダルや勲章の絵がある。
さらに外側には図や文章などがたくさん描かれている。
どうも武器や戦術について書かれたもののようだ。


旗(?)の右側には長方形の金属の物体がある。
この物体には紋章が入っているものもあり、上部には紐を通す穴が開いていて、下部には蝶番が付いている。
何かのタグが付いているものもある。
タグの真上にあるのは、信号や警報を鳴らすための笛(写真には写っていない)である。


これは笛の全景。
その横には写真があるが、説明書きから新兵を撮したもののようだ。


これらは武器の展示かと思ったら、戦利品として持ち帰ったもののようだ。
小銃などがある。


上↑の写真に写っている赤白のペナントのようなものがこれ。
白の部分にある三日月と星のマークから考えると、オスマントルコのものだろうか。
その前には軍刀やライフルなどがおいてある。


これは陸軍歩兵中尉の軍服。
襟の星が1つは少尉、3つが大尉である。


その足下にあるものは、戦利品の短銃や短剣。


その隣にあるこれらのカードは、タロットカードである。
絵柄は、戦争がモチーフになっているようだ。


これらの帽子や杖などは、後ろの写真パネルの人物が持ち主だったようだ。
『アルブレヒト大公』と書いてある。
彼はハプスブルク家の傍系に当たるテシェン公爵家の生まれで、のちにポーランド国籍を取ったが、
第二次世界大戦後に妻の祖国スウェーデンに亡命し、そこで亡くなった人物である。
第一次世界大戦では、陸軍大佐にまでなった。
パネルには『連合国防軍総監』と書いてあるので、それが肩書きだったのだろう。

真ん中に、赤白赤(墺国の国旗色)の大綬と勲章がある。

それぞれにとかとか番号が振ってあるのは、
パネルの説明文の番号と合致しているのだが、事件現場の証拠物件のようにも見える(不謹慎)。





ウィーン軍事史博物館(35)

2015-12-28 15:43:18 | 旅行
真横から見た方が良いと思うこの展示物は進軍ラッパ。
式典用のラッパのような気もするが、旗の古び具合からして、現役だったものだろう。


これまた軍服の展示。
それぞれのマネキンがかぶっている帽子はシャコー帽といって、この時代まではよく使われていた。
(確かに見栄えが良いと思う)
しかし、飛んでくる砲弾の破片や銃弾から身を守るには不適だったため、鉄製ヘルメットに取って代わられた。
襟や袖口が黄色い軍服は偵察隊の、緑色の軍服は小銃兵(狙撃兵)の、赤い軍服は砲兵隊のものだと
Wikipedia先生に教えてもらった。


砲兵隊の軍服のアップ(例によって、自分がガラスに映り込んでいる)。
体の前に付けているのは砲弾入れだろうか。
左側には水筒をつるしてある。


小銃兵の軍服のアップ。
背中にライフルを背負っている。
左胸には緑色のポンポンが付いているが、もちろんアクセサリーなどではなく、何か意味のあるものだろう。


シャコー帽が2つと何かのケース。
全面に大きな紋章が付いているのが特徴である。
てっぺんに付いている棒は、飾りを付けるためのものと思われる。


これらは、右側の表示(Infanterist, 歩兵のこと)から、歩兵の装備品だとわかる。
真ん中の壊れているものは水筒だろうが、左側のこれは何だろう。
兵糧入れのような気がする。


これは偵察兵の軍服のアップ。
これにも赤いポンポン飾りがあり、紐の一端は服の合わせの中に入っている。
短剣か何かを隠し持っていたのだろうか。


これは砲兵隊と同じような赤い襟とそでなのだが、
隣の軍服と同じように軽装備である(銃などを持っていない)。
Wikipedia先生に載っている図版と照らし合わせると、どちらも憲兵隊のような気がする。


奥にあるのはライフル銃で、手前の2つは軍隊用の進軍ラッパ。


この臙脂色の帽子をかぶった軍服は、軽騎兵のもの。
『HUSAR』という単語はハンガリー語由来であることから、この制服もハンガリー系軍人のものだろう。


これらの軍服の後ろにあるものは、当時のオーストリア=ハンガリー二重帝国の領土を示したものである。
本当にたくさんの国家(民族)が集まった国だということが実感できる。

ウィーン軍事史博物館(34)

2015-12-27 21:45:54 | 旅行
前にも紹介したが、壁面にこのような書物のようなものが付いている。
写真が貼ってある台紙を、アルバムを見るようにめくって見る仕組みになっている。
写真の人物は、フランツ・ヨーゼフ帝と思われる。


上↑の写真の右側にある絵(馬に乗る人たち)の右側には、このようなショーケースがある。
左側の軍服は、色からすると礼装用かパレード用のもののようだ。
後ろには大きなオーストリア帝国の軍旗がある。


上↑の写真を正面から撮ったもの。
2列ボタンは位の高い軍人の制服であるが、これらの軍服は右側にある肖像画の人物が持ち主である。
勲章の数の多さもさることながら、白い軍服の方は墺国の国旗色の大綬を付けている。
そう、これらはフランツ・ヨーゼフ帝の軍服なのである。
白い方の軍服を着た写真や肖像画は色々なところで見かける。
(それどころか、墺国のジュニアのアイスダンスカップルがこの軍服をモチーフにした衣装だったことがある)


肖像画の下には勲章がたくさん展示してある。
説明書きによると、外国からフランツ・ヨーゼフ帝に贈られた勲章だそうだ。


これは、フランツ・ヨーゼフ帝と部下たちを描いた絵である。
皇帝は白い軍服と赤いズボンをお召しである。
服装から判断すると、軍人ばかりでなく、聖職者もいるようである。


これも軍服だが、襟の形が少し違う。
前にサーベルなどの武器がたくさん置いてある。


これらは上↑の写真左側にあるもの。
通信機やカメラや双眼鏡である。
下にあるのは、橋か何かの工事をする兵隊たちに見える。


これは飛行機(軽飛行機かと思ったが、大きさからすると模型だろう)。
右側にあるメルセデスベンツのマークのような物体は、飛行機のハンドルである。
ハンドルの上にあるものは、空軍将校もしくは士官の襟章。
気球のようなマークが付いている。


そして、これが気球の模型。
どうやら、第一次世界大戦初期には、このような気球も用いられていたようだ。