かへる 東の国探訪記

何かと話題のぐんうま県在住の『かへる』の某国中心の旅行記&趣味のフィギュアスケートの話題など

ベルヴェデーレ上宮へ(2)

2015-07-31 21:50:43 | 旅行
階段を上がった2階と3階は美術館になっている。
2階は19世紀の、3階は20世紀の墺国の絵画を展示してある。
階段の向かい側には『大理石の間』がある。
壁も床も金色で、一面キンキラキンである
オイゲン公は現在のフランスの名家出身だが、当時の王家とはそりが合わず、19歳でウィーンに来て、
それから3人の皇帝に仕えた名軍師である。
体はあまり大きくなく、容姿端麗というわけではなかったが、
知性と人格と行動力で多くの人の心をつかんだと言われている。
このキラキラした派手な部屋は、はたしてオイゲン公の趣味だったのだろうか、と疑問に思う

大理石の間を挟んで(階段の方を向いて)左手に進むと、19世紀前半の絵画が、
右手側はウィーン世紀末の作品が展示してある。
もちろん、興味があるのは右側の方である

階段にいちばん近い部屋が、オスカー・ココシュカの部屋である。
96歳という非常に長生きの方である。
名前からしてチェコ系かと思ったら、そうだった(当時チェコはオーストリア=ハンガリー二重帝国の一部)。
ココシュカと言えば人形で有名である(知らない人はググってみよう)
絵は、ガイドブックにも載っていないが、何とも言えない引き込まれる感じを覚える。

その隣は、エゴン・シーレの部屋である。
有名な『ほおづきの実のある自画像』は残念ながらない(他の美術館にある)が、
『死と乙女』はある。
シーレと前の恋人を描いたものだとされている。
この絵が描かれた背景を知ると、また違った見方ができるものである。
なお、シーレは新しい恋人と結婚したものの、当時流行していたスペイン風邪にかかり、
2人とも亡くなってしまう。
妻はシーレの子がお腹にいたとのことである。
また、前の恋人は第一次世界大戦の時に従軍看護師として戦地に赴き、そこで亡くなった。
28歳という若さで亡くなった天才画家の作品を感慨深く眺める。

これは、2日前にアルベルティーナで買ったステレオビューアーである。
勿体なくて、パッケージは2年経った今でも開けていない


おまけにムンク様もどうぞ


ベルヴェデーレ上宮へ(1)

2015-07-30 15:31:16 | 旅行
トラムD番に乗って、次に向かうのはベルヴェデーレ上宮である
(以前、このブログにて「D番に乗って宿泊先に戻る」と書いたが、71番の間違いであった
ここで訂正しておく)
ウィーンはトラム(路面電車)網が充実していることでも有名である。
現在運行しているのは、DとOを除いては路線名は番号ばかりである(それも欠番が多い)。
Wikipediaドイツ語版で調べたら、昔はアルファベットが路線名になっていたものが、
2つを除いて廃線もしくは路線変更になってしまったようだ。

オペラ座(Oper)からリンクに沿って走ったと思ったら、すぐに南へ90度曲がる
噴水のある小さな広場を過ぎて、プリンツ・オイゲン通りを南下する。
左手に城壁や緑地(森)が見えるが、これはベルヴェデーレ宮殿の敷地である。

通りの名称になっているプリンツ・オイゲン(オイゲン公)は、オスマントルコの大軍を打ち破り
ウィーンを救った英雄である。
その功績により、ハプスブルク家より贈られた夏の離宮がベルヴェデーレ宮殿である。
宮殿は2つあり、その間に広大な庭園が広がっている。
オイゲン公が主に住んだのは北側にある下宮で、これから行く上宮は迎賓館や宴会場として使っていたそうだ

4つ目の停留場シュロス・ベルヴェデーレ(Schloss Belvedere)で下車する。
通りに面した門を通ると、すぐに上宮がある。
(これは庭園側から撮した上宮


チケットは、クリムトチケット(上宮+下宮)を購入する
オーディオガイドは4ユーロもするので、借りないことにする。
クロークに荷物を預けて、まずはミュージアムショップ(1階にある)に入る。
クリムトやシーレなどの作品をモチーフにした土産物がいっぱいある。
友人への土産物(その2)として、クリムトの『接吻(Der Kuss)』の絵はがきを買う。
この絵はがきは、元の絵で金色に塗られている部分がキンキラキンになっていて高そうに見える
自分用に、『接吻』のクリアファイルを買う。
レジの近くにミニジャムがあるので、イチゴとアンズを買う。
ふたの上部にクリムトの絵があしらってある。
「これをばらまき土産にした方が良かったか?」と一瞬思うが、
食パン2~3枚に塗れば終わってしまいそうな分量である。
それはあまりにもケチなので、やめる


オペラ座(付近)の怪(しい)人

2015-07-29 15:23:27 | 旅行
わたしが道に迷いやすいポイントは数々あるが、
何と言っても地下鉄駅の出口である
とりわけ、複数の路線が乗り入れている駅や、出口がたくさんある駅では
必ずと言っても良いくらい間違える
乗り換えはほとんど間違えないというのに、なぜなのだろうか。

レッセル公園でしばし休んだ後、もう一度最初から歩き直そうと決め、
カールスプラッツ駅に戻る
地下道を通って北西方面に出たら、すぐ近くに土産物店がある。
カールスプラッツ駅は3路線が乗り入れている大きな駅である。
わたしが最初に出たところは歴史的な建築物の駅舎だったが、
オペラ座やケルントナー通りに向かうには違う出口を使わなければならなかったのだ

店で土産物を物色していると、日本人の一団(10人くらい)が入ってくる。
揃いのバッジから、パックツアー客だとわかる。
日本を出発してから、日本語を使うことはまるでなかったが、
こうして何日かぶりに聞く日本語に変な安心感を覚える
店の中には、高級ブランドもあるが、墺国国産品もある。
もちろんあのスワロフスキーもあるが、高価なので見るだけにしておく
友人(と自分)にはチロルで作られたポーチを、
自分用にはガイドブックで知り、目をつけていたザッハトルテのストラップを買う
ポーチはエーデルワイスなどの高山植物がプリントされていて、なかなか良い。
携帯電話のストラップというのは、よその国がストラップをつける場所のない電話(スマホ)が主流のため、
日本か韓国でしか見かけない土産物に思える

店を出て、オペラ座の方向へと歩く
このまままっすぐ進めば、ウィーンでいちばんの繁華街であるケルントナー通りにつながるのだが、
この暑さの中、これ以上の外歩きはしたくなかった
オペラ座付近の停留所で路面電車を待つことにする。

国立オペラ座も有名観光地であるが、7~8月は公演がない。
昼間は内部の見学ができるのだが、いつガイドツアーがあるのかは調べないとわからない。
だからというわけではないが、今回はオペラ座の見学も断念する

これは、停留所から撮った国立オペラ座である


思っていたより、こぢんまりした建物だと思ったが、
後で地図を見直したら、ずっと奥まで建物が続いていたのだった

美しき泉を後にして(ぐーるぐる)

2015-07-28 17:18:45 | 旅行
ミニトレインの最後の停留所は『マイドリング門』である。
このまま乗っていれば、最初に乗った場所に着くのだが、わたしはここで降りる。
右側にある建物は、オランジェリーといって、音楽会の会場として使われている

これは、振り返って撮った庭園(建物は何であるか不明)


マイドリング門で降りたのは、ここの方が地下鉄駅に近いからである。
しかし、わたしは自分がとんでもない方向オンチであることを失念していた
門を出てすぐに、どの方面に進んだら良いのかわからなくなる
朝入ってきた正門から出れば、おそらく同じ方面に歩く人が多いだろうから、迷わずにすむはずだった。
ここマイドリング門から出た人はわたし1人だけで、大通りを前に困惑する羽目になった。
近くを通る若い女性2人に「地下鉄駅はどうやって行けば良いですか?」と英語で聞くが、
「わかりません」と返ってくる。
たぶん彼女たちも観光客なのだろう。
とりあえず大通りを渡ると、見覚えのある駐車場らしき場所が見える。
そのまままっすぐ北へ進むと、地下鉄シェーンブルン駅に着く

駅そばの売店で、水を買う。
炭酸入りの水が案外美味しいことがわかったので、prickelnd(炭酸入り)にする。

地下鉄4号線に乗り、市街地へ戻る
予定では、6つ目の駅カールスプラッツで降りて、近くの土産物店でお土産を買う。
この店はガイドブックに載っている店で、外国人観光客は免税価格で買えるとのことである
自分用と、仲の良い友人への土産物を買いたいと思っていたのだ。

カールスプラッツ駅舎は、普通の地下鉄駅とは違う。
外から見ると、まるで小さな館のようなのだ(写真を撮っておけば良かった
それもそのはず、この駅舎はオット・ヴァーグナー設計である
パビリオン型の駅舎は、先ほどまでいたシェーンブルンや王宮の庭園にあっても違和感がない。

しかし、ここでもまた道がわからなくなる
ガイドブックの地図を見た限りでは、大通りを挟んだ駅の真向かいにその店はある。
そこで、近くの横断歩道を渡り、リングの内側に入る。
ビル街にてお目当ての店を探すが、それらしき店はない。
街なかでガイドブックを出すのはためらわれるので、スマホに入れておいた地図アプリを起動する。
わたしは最強の方向オンチだが、地図は読める。
アプリのおかげで自分がどこにいるのかわかったが、目的地がわからないことには変わりがない。
通りかかった男性が「どうしたのですか?なにかお探しですか?」と声をかけてきたが、
「大丈夫です、ありがとう」と答えて、駅まで戻る。
駅近くにはレッセル公園という小さな緑地がある。
日陰のベンチを見つけて、ガイドブックを取り出してもう一度場所を確認する。
日なたは脳が沸騰しそうな暑さだが、空気が乾燥しているので日陰にいればそれほど不快な暑さではない
後でわかったことだが、この日のウィーンは最高気温が39.5度であった


美しき泉(9)由来の場所

2015-07-27 16:16:27 | 旅行
グロリエッテの近くにミニトレインの停留所がある。
時刻表もついているので確かめると、あと5分で来る
それまで写真を撮りつつ日陰で休む。
宮殿本体からグロリエッテまでは、徒歩20分かかるそうだ
春や秋ならば、散歩がてら歩くのに良いかも知れないが、
真夏に日陰の全くない庭園(それも上り坂)を歩く勇気はない

5分後、トレインの姿が見える
停留所のかなり手前、先ほどわたしが降りたあたりで停まる
炎天下走りたくないけれども、走って乗りに行く

グロリエッテの前を通って、東方向にまっすぐ進むと、『ホーエンベルク通り』に着く。
通りの名前は、グロリエッテを設計した人にちなんでいるようだ。
この近くには、もうひとつのグロリエッテ(Kleiner Gloriette、小グロリエッテ)がある。
やはり、テレジア様のお気に入りの場所だったそうだ(内部は非公開)
この時は知らなかったので見落としたが、後で存在を知り、見ておけば良かったと思う。
ネットで調べると、例の黄色に塗られた小さな建物だとわかる。
何も説明がなければ、普通の民家にも見える(不謹慎)

逆くの字形に道を来た方向に進むと、次の停留所『オベリスク/シェーナーブルンネン』に到着する。
このあたりには、ローマの廃墟やオベリスク、シェーナーブルンネンといった名所がある。
宮殿の名称の由来となったシェーナーブルンネンは、現在は白い石造りの小屋の中にあり、近づけない。
昔は、ハプスブルク家の王子様や姫君たちが、夏場ここで涼んだのだろうか
なお、さらに昔、皇帝マティアスが狩りの最中に発見した『美しい泉』は、
シェーナーブルンネンからはちょっと南、オベリスクとローマの廃墟の間にある。
これは、撮ったときはシェーナーブルンネンだと思っていたが、後でオベリスクの泉だとわかったもの

運転士さんが近くを通って停まってくれたため、近くで写真が撮れる