2024.11.12(火)
エリザベス・ストラウトの『オリーヴ・キタリッジの生活』を読み進めては仕事で中断し、また二、三日して本を開いて少し前から読み返し・・・とここ数週間?続けている。
次の出番を待っている本が仕事部屋の棚に重なって見えるのだけれど、なかなかそっちに行けない。
この本は、さら~っと読み流したくなくて、私の夕食後のいっときをいつまで占領する気なんだ。
タイトルどおりならば、頑固で少し厄介な、でも私にもありそうなこだわりの強さを見せるオリーヴの暮らしが事細かに書かれていそうだけど、そうでないところがなんともおもしろく、それでいて、この街に住む一癖以上ありそうな人々の周囲を行ったり来たりしているうちに、オリーヴの人生や日常がいつのまにか私の中で根をおろしていく。
こうやって誰かを浮き上がらせていく手法もあるのだなあ。
「チューリップ」のなかで、彼女がかつての美しい秋の日を思い起こすところで、しばしページがストップしている。
「たいていの人間は、人生の途中では、今生きていることがわからない」
かつての美しい日々の中で、「静かな幸福を味わうという知恵が働いたのだろうか」・・・否。
深いなあ・・・。
明日は少しだけ中央線沿線の山を歩いてこよう。
昼間数時間、水道管の耐震工事のために断水だというので。
美しい秋の日に・・・。
藤田菜七子さんが孤軍奮闘していた日々を思えば、こんな形で引退、は残念だった。
けれど、直接的な被害者はいなかったと考えていいなら、新しく生き直す道が残されていて当たり前だと思う。
小さなエールを贈りたい。
https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20241112-OHT1T51138.html
また、事実が霧の中のままで、「不快な思いをされたり、心を痛められた方々がいらっしゃったのであれば・・・」、こんな「謝罪」で終わらせて復帰できるのか。
(こういう言い方で自分の行為をごまかしたことがあったけれど、考えたら便利で「卑怯な」表現だな)
基本的に誰でも生き直せる、と思っているけれど、越えなければいけないこと、自らを正さなければならないこと、いくつも大きな壁があることが前提だ。
いくつ越えて復帰するんだろう。それとも復帰できないのか? 興味のある人ではないけれど。
最新の画像[もっと見る]
-
メンバーは結構イケてた~ライブハウスの思い出で漫遊記! 1週間前
-
オペラ、いつか食べたい。 1週間前
-
「掘っても掘っても・・・」、60年代のフリークビートで漫遊記 2週間前
-
「掘っても掘っても・・・」、60年代のフリークビートで漫遊記 2週間前
-
「掘っても掘っても・・・」、60年代のフリークビートで漫遊記 2週間前
-
快晴の高尾山~景信山 2週間前
-
快晴の高尾山~景信山 2週間前
-
快晴の高尾山~景信山 2週間前
-
快晴の高尾山~景信山 2週間前
-
快晴の高尾山~景信山 2週間前