隠れ家-かけらの世界-

今日感じたこと、出会った人のこと、好きなこと、忘れたくないこと…。気ままに残していけたらいい。

「駅路」~きっと誰もが「いつの日か」

2009年04月17日 00時05分28秒 | テレビにプチコメント
■「駅路」を歩く私たち
 先週の土曜日に放映された 「駅路」。見ごたえのある、胸が痛くなる2時間余りだった。
 松本清張の原作を読んでいないので、どこからが杉田監督の脚色なのか、向田邦子の脚本はどこまでなのかは不明だけれど、丁寧に時間をかけてつくりあげられた作品の迫力(というか、繊細さ?)に圧倒された。エンディングロールのあと、しばらく動く気になれなかったテレビドラマは「帽子」以来?(そういえばココにも書いてます)
 責任のある人生の長い時間から解放されたとき、人はどんなことを考えるんだろう…、そういうことが頭の中を巡った。それまでの日々の上に同じ日々を丁寧に重ねて生きていく人もいるだろうし、選べなかった時間をそこから生きていくことに命さえ賭ける人もいるのだろう。
 「人は常に子どもの犠牲になって…」のくだりは限りなく重い。
 役者たちも秀逸だった。役所広司の深い演技と悲しい笑顔は今も心に残る。
 深津絵里の静謐な美しさと、若さゆえの迷いも悲しい。
 十朱幸代は、若いねえ、という感想だけじゃない「老年一歩手前」の女のすごさを表現できる女優だったんだな(もうあんまり「若さ」なんてウリにしないほうがいいんじゃないですか…とよけいなお世話)。
 取り調べを受けているときの木村多江はすごかったな。ふだん二時間ドラマで繰り広げられる取調室でのやりとりがマヌケに見えてきそう。犯罪を犯し、後悔の念や、それでも消えない人への恨みを抱えているとしたら、こんなふうになるのかな、とそんなことまで思わせてくれた。
 ちょこっとしか出なかったけど、高岡蒼輔のきれいなゆえに怖い表情も残りました(いろいろ言われているけど、ガンバレ!)。

 エンディングのシーンで、主人公は列車に揺られて、殺されたけれど新しい駅路を歩こうとした男を「うらやましいね、こっちはそんなことできずに同じ道をずっと歩いていくんだろう」とうらやんでいたけれど、それが決して絶望の表情ではなかったところもポイントなのかな。
 彼は長年つれそった妻と、今心を病んでいる娘を抱えて生きるこれからの人生を、あきらめだけで歩くのではないのだろう、そう思わせる表情。

 定年を迎えて、あるいは還暦を迎えて、「これからが楽しい老後だ!」と言わんばかりに跳ねていく団塊の世代をテーマにいろいろなビジネスが生まれているようだけど、人を時代でくくるな!ってとこなのかも。
 アラフォーもアラサーも、軽いくくり方だよなあ。

 もっといろいろ書きたい感想があったような気がするけど、ま、こんな感じで。
 本当にいい作品でした。

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