隠れ家-かけらの世界-

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完璧に原作を越えた、映画 「砂の器」 の誕生秘話

2009年08月12日 21時00分02秒 | 日記
2009年8月12日 (水)

■大好きなんです、「砂の器」。あ、映画のほうね
  日本映画で好きなもの、こだわりのあるもの、いろいろあるけど、月並みですが「砂の器」はいいなあ。ミステリーとしてもおもしろいし、丁寧な作り方がド素人の私なんかにも伝わってくる感じ。
 それからなんといっても、少年時代の主人公とハンセン病を患った父親が日本各地を旅するシーン。「宿命」の壮大な調べと海辺の光景、地元の人からひどい仕打ちを受けながら歩く親子の後ろ姿。寂しく悲惨な状況ではありながら映しだされる日本の四季のせつないほどの美しさ…。
 ここは何度見ても心を揺さぶられる。
 今、「朝日新聞」夕刊の「人脈記」で松本清張がテーマになっていて、10日は『砂の器』をとりあげていた。この映画化にもドラマがあったのだとはじめて知ったのだ。
 松本清張自身が映画化を望み、1960年に脚本家の橋本忍氏と監督の野村芳太郎に依頼したということ。当時はもちろんこの病気に対する差別も強かったので(とくにこの作品は父親の病気を隠すために起こした殺人がテーマになっているし)、脚本(山田洋次氏との共同執筆)ができあがっても制作してくれる映画会社が決まらず、結局13年の年月を経て映画が完成した、ということ。まったく知らなかった。
 映画の最後、エンドロールの前に,ハンセン病についてのコメントが流され、社会復帰さえ可能な病気であることがわかった今も「非科学的な偏見と差別」だけが残っているという真実を伝えている。このコメントもよく覚えている。
 これは、ハンセン病の患者さんの団体の事務局長をしていらした方が求めたものだそうだ。この方は最初、制作をやめてほしいと主張されたそうだが、制作者サイドが「ハンセン病の正しい知識を伝える映画にする」と約束したために申し出を取り下げたといういきさつがあったそうだ。
 松本清張の作品は主要なものはほぼ読んでいるけど、実は「砂の器」は好きではない。物語の焦点がどこかわからず、ものすごく冗長な印象がある。
 松本清張は試写会で橋本氏に「映画化された私の作品でいちばん出来がいい」と声をかけたそうだけれど、この作品に関してはもう原作とは別物、というくらいの評価をしたい。



■「あてにならぬ記憶と観察力」
 同じ日の夕刊の「池上彰の新聞ななめ読み」がおもしろかった。
 裁判員裁判スタートの新聞記事をちょっと違う角度から取り上げている。
 裁判員の方たちのようすを描写した各社の記事を比較し、プロの新聞記者だってこんなにバラバラに記憶しているのだから、一般人はいかに、ということか。
 裁判中に被害者の写真を見せられた裁判員たちの反応。ある記事ではそれが「遺体」の写真であり、またある記事では「傷跡」(「しょうせき」ではなく「きずあと」ね)の写真であり。
 また「全員がそれを見たけれど、耐えきれずに目をそむけた人もいた」り、「全員目をそむけなかったけれど、顔をゆがませる人もいた」り、といろいろだったそうだ。
 こういうことは日常でもいろいろ経験する。夜の繁華街で男女の言い争いに遭遇したとき、私は女性が男性と同じくらい背の高さの女性だったと記憶していたのだが、一緒にいた人は「女性のほうがずっと背が高かった」と主張して譲らなかった。
 その現場はじつは「言い争い」ではなく、完璧に「女が男を徹底的に責めていた」わけで、ツレ(男性です)には「女性の迫力」がそういう印象(「でっかい女」)を与えたのではないか、と。
 ま、おわかりかと思いますが、私は自分の記憶を疑っていないわけで、ひょっとするとこういうところに傲慢さもあらわれるのかな、と。
 でも、あの女性はそんなにでかくはなかったけどなあ…。フフ。

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