「ブラックバード」 (2009年8月5日 in 世田谷パブリックシアター)
原作 デビッド・ハロワー
演出 栗山民也
出演 内野聖陽/伊藤歩
◆なぜやってきたのか?
17年前の少女誘拐事件。若い女性に成長した当時の少女(ウーナ)が、その事件で実刑判決を受け今は過去を隠して暮らす男(レイ)のもとを突然訪ねてくる。
いったい今になってなぜ? 何を望んでいるの? レイだけではなく観客にとってもそれは疑問だ。そしていったい二人の間に実際にどんなことがあったのか、怖いもの見たさで体がこわばる。知りたくないこと、見たくないものが目の前にさらされる気配に、こっちが緊張する。
二人の緊迫した会話は続く。かなりエキセントリックなウーナ、当然立場は弱く、たまに大声をあげながらも終始脅えを見せるレイ。
少しずつ明らかになる過去、17年前の二人の関係。その後、そのまま町に残って暮らさざるをえなかったウーナの苦悩とそれに端を発した?と思われる精神的なアンバランスさ。
◆17年前の二人
12歳の少女はこちらの想像よりはるかに成熟した(この形容はちょっと違和感あり、ですが)感性をもっていた。レイを愛していたし、レイに喜びを与えられる自分の体を誇っていたかもしれない。無意識ではあっても、誘ったのはウーナだったかもしれないと思わせる。
一方、レイはどうだったのか。近所に住む、自分に好意を寄せるかわいい女の子。最初は脅えていたレイが語り始める。自分がどんなにウーナに惹かれたか。最後に異国へのフェリーに乗る寸前に自分は姿を消してウーナを捨てたのではなく、行き違っただけなのだと。40の男はやっぱり12歳の少女を愛したのか。そうだよね、問題はあってもありえないことじゃない(と、私…)。
それでも、ひと目にさらされて生きた何年間はどんなに残酷で異常な日々だったか。のちにウーナが常軌を逸した行動を繰り返したとしても、それは無理もない。彼女はカウンセリングのような形で治療を受けたようだが、彼女の発言をきく限り、それは救いにはなっていないことがわかる。
◆三番目の出演者
ウーナがレイに問いたかったのは、レイは自分の性癖のために近所に住む12歳の自分を求めたのか、それとも自分を愛したのか、ということ。
だから彼女は何度も問いつめる。12歳の女の子と関係をもったことはあるのか、あの事件のあとはどうなのか、と。レイは言う、「君だけだ」と。
そうなんだ、とこちらも納得し始めたとき、事態は大きく揺れる。二人芝居と思っていた舞台に、一人の少女が突然現れるのだ。レイが今付き合っている女の娘…。「ねえ、なにをしているの。早く行こうよ」とレイにつきまとう。慌てるレイ。「ママのところで待っていなさい」
少女を見ているウーナの驚愕の表情。ウーナはその少女に17年前の自分を見たのだろう。あのときもこうやって無邪気にレイにつきまとっていた自分、でも決して「無邪気」ではなかった自分を。
慌てるレイ。ウーナの疑いと非難の目をかわしながら、「違う! そんなんじゃない!」と否定する。まだ、その娘との間には何もないかもしれない。でもレイの慌て方はやっぱり不自然だ。彼は再び同じことを繰り返すのか。あの娘はどんなふうにレイを見ているのか…。
そのあたりがまだ判然としないままで、舞台は唐突に幕をおろす。あとは、あなた方が判断しなさい、とでも言うかのように。
◆あまりの幼さに…
ウーナの話を聞きながら、幼い中にも十分成熟した女性を秘めていた12歳なんだと思っていたが、実際に少女が出現したときには、そのあまりの幼さに愕然とする。ああ、ウーナもこんなだったのかもしれない、と。
ウーナは自分ではレイを対等に愛したかのように追想していたけれど、それはどうだったのかな。単なるよくある憧れがどこかでいびつに意識されてしまったのか。
それはもう、それぞれに想像してみるしかないけれど。どちらにしても、ウーナは心を病んでいる。あのときから前に進めていない部分を抱えている。それは、愛するレイに置き去りにされたショックからきているのか、あるいは「大人の男に性的虐待を受けた、いたいけな少女」としてひと目にさらされて生きた日々が原因なのか。
◆二人の役者
内野聖陽さんのレイ。ずるいのか、純粋なのか、不器用なのか、そのあたりがあやふやなところがいい。ただ、17年前に40歳ということは57歳のレイ? これはちょっと不自然かなあ、私には。「もうすぐ60…」というようなセリフがあったけど、ちょっと違和感ありました。なんとなく生々しすぎる男でしたから。
若手実力派といわれる伊藤歩さん。姿も声も美しく、華があります。ウーナの抱える闇が伝わるにはちょっと美しすぎたけど。関係ないか。
残念だったのは、千秋楽も間近な舞台だったせいか、声がかなり荒れていたこと。ふつうに話しているときはいいのだけれど、声を張り上げると裏返ってしまうときも。それがちょっと残念でした。
そうそう、舞台装置もおもしろいな、と。こういうちょっとドロドロしたテーマの芝居なんだけど、舞台は会社の警備員の控え室。ものすごく無機質な雰囲気。そのアンバランスにも意味があるんだろうか。
原作 デビッド・ハロワー
演出 栗山民也
出演 内野聖陽/伊藤歩
◆なぜやってきたのか?
17年前の少女誘拐事件。若い女性に成長した当時の少女(ウーナ)が、その事件で実刑判決を受け今は過去を隠して暮らす男(レイ)のもとを突然訪ねてくる。
いったい今になってなぜ? 何を望んでいるの? レイだけではなく観客にとってもそれは疑問だ。そしていったい二人の間に実際にどんなことがあったのか、怖いもの見たさで体がこわばる。知りたくないこと、見たくないものが目の前にさらされる気配に、こっちが緊張する。
二人の緊迫した会話は続く。かなりエキセントリックなウーナ、当然立場は弱く、たまに大声をあげながらも終始脅えを見せるレイ。
少しずつ明らかになる過去、17年前の二人の関係。その後、そのまま町に残って暮らさざるをえなかったウーナの苦悩とそれに端を発した?と思われる精神的なアンバランスさ。
◆17年前の二人
12歳の少女はこちらの想像よりはるかに成熟した(この形容はちょっと違和感あり、ですが)感性をもっていた。レイを愛していたし、レイに喜びを与えられる自分の体を誇っていたかもしれない。無意識ではあっても、誘ったのはウーナだったかもしれないと思わせる。
一方、レイはどうだったのか。近所に住む、自分に好意を寄せるかわいい女の子。最初は脅えていたレイが語り始める。自分がどんなにウーナに惹かれたか。最後に異国へのフェリーに乗る寸前に自分は姿を消してウーナを捨てたのではなく、行き違っただけなのだと。40の男はやっぱり12歳の少女を愛したのか。そうだよね、問題はあってもありえないことじゃない(と、私…)。
それでも、ひと目にさらされて生きた何年間はどんなに残酷で異常な日々だったか。のちにウーナが常軌を逸した行動を繰り返したとしても、それは無理もない。彼女はカウンセリングのような形で治療を受けたようだが、彼女の発言をきく限り、それは救いにはなっていないことがわかる。
◆三番目の出演者
ウーナがレイに問いたかったのは、レイは自分の性癖のために近所に住む12歳の自分を求めたのか、それとも自分を愛したのか、ということ。
だから彼女は何度も問いつめる。12歳の女の子と関係をもったことはあるのか、あの事件のあとはどうなのか、と。レイは言う、「君だけだ」と。
そうなんだ、とこちらも納得し始めたとき、事態は大きく揺れる。二人芝居と思っていた舞台に、一人の少女が突然現れるのだ。レイが今付き合っている女の娘…。「ねえ、なにをしているの。早く行こうよ」とレイにつきまとう。慌てるレイ。「ママのところで待っていなさい」
少女を見ているウーナの驚愕の表情。ウーナはその少女に17年前の自分を見たのだろう。あのときもこうやって無邪気にレイにつきまとっていた自分、でも決して「無邪気」ではなかった自分を。
慌てるレイ。ウーナの疑いと非難の目をかわしながら、「違う! そんなんじゃない!」と否定する。まだ、その娘との間には何もないかもしれない。でもレイの慌て方はやっぱり不自然だ。彼は再び同じことを繰り返すのか。あの娘はどんなふうにレイを見ているのか…。
そのあたりがまだ判然としないままで、舞台は唐突に幕をおろす。あとは、あなた方が判断しなさい、とでも言うかのように。
◆あまりの幼さに…
ウーナの話を聞きながら、幼い中にも十分成熟した女性を秘めていた12歳なんだと思っていたが、実際に少女が出現したときには、そのあまりの幼さに愕然とする。ああ、ウーナもこんなだったのかもしれない、と。
ウーナは自分ではレイを対等に愛したかのように追想していたけれど、それはどうだったのかな。単なるよくある憧れがどこかでいびつに意識されてしまったのか。
それはもう、それぞれに想像してみるしかないけれど。どちらにしても、ウーナは心を病んでいる。あのときから前に進めていない部分を抱えている。それは、愛するレイに置き去りにされたショックからきているのか、あるいは「大人の男に性的虐待を受けた、いたいけな少女」としてひと目にさらされて生きた日々が原因なのか。
◆二人の役者
内野聖陽さんのレイ。ずるいのか、純粋なのか、不器用なのか、そのあたりがあやふやなところがいい。ただ、17年前に40歳ということは57歳のレイ? これはちょっと不自然かなあ、私には。「もうすぐ60…」というようなセリフがあったけど、ちょっと違和感ありました。なんとなく生々しすぎる男でしたから。
若手実力派といわれる伊藤歩さん。姿も声も美しく、華があります。ウーナの抱える闇が伝わるにはちょっと美しすぎたけど。関係ないか。
残念だったのは、千秋楽も間近な舞台だったせいか、声がかなり荒れていたこと。ふつうに話しているときはいいのだけれど、声を張り上げると裏返ってしまうときも。それがちょっと残念でした。
そうそう、舞台装置もおもしろいな、と。こういうちょっとドロドロしたテーマの芝居なんだけど、舞台は会社の警備員の控え室。ものすごく無機質な雰囲気。そのアンバランスにも意味があるんだろうか。