2024.10.29(火)
まだまだ幼さの残る表情や体つき。
でも中学生になった女子たちは、テスト勉強に勤しむ。
ここに来れば、そんな日常から離れて、ゲームしたり散歩したり・・・。
何もできないけど、そういう場所でいることが大事なのかもね、そんなことを思う秋の一日。
母は、面会のとき、少し眠そうだった。
仕事の関係上、午前の早い時間に訪れることが多いのだが、次は午後にしてみようか、と相方と話す。
こちらの話はちゃんと理解して反応は確かだけれど、なんとなくどこか心ここにあらずな表情。
そして、最近は自分から話題を出すことはない。
最後に、「みんなによろしくね」と言って、そのときの自分の声が予想以上に大きかったことに少し驚いたのか、恥ずかしそうに笑ってくれたのが救い。
息子たちにLINEで報告したら、穏やかに暮らしているなら何より・・・というような返信。
本当にそのとおりだ。
穏やかに、痛いところもなく、強制されることもなく、優しい人たちに囲まれている。
私は半分後ろめたく、半分安心して、その日までをじょうずに寄り添っていくしかない。
典型的な無党派層の一員だが、今回の衆院選の開票状況はひさびさにおもしろかったな。
われわれの怒りややりきれなさが数字に表れた、ということで。
若いときは意味不明の(あの頃にはそれなりの理由があったのだけれど)こだわりで、投票を拒否!していたこともあったけれど、これしか方法がないのだと諦めてからは期日前投票を心掛けている。
やっぱりこの形で権利を主張するしかない。
投票率が上がれば、もう少しわれわれの怒りが数字に明らかになるかもしれなかったと思うと、少し残念ではあるけど。
衆議院小選挙区の区割りの変更で、今回から選挙区が変わり、ここの狭いエリアが隣の選挙区にくっつく形になった。そのために、悪名高き(個人の感情が入ってます)候補者に引導を渡すことが叶わなかった。それが大きな心残り。かろうじてつながっちゃったみたいだし。
一党が大きな力をもちすぎて方向を誤ったこの長き時間が、これからどうなるのか。期待はあまりしないけれど・・・。
「引導を渡す」は、もともとは葬儀内の儀式をさす仏教語だったそうで、「心苦しいけれど、諦めるように最終的に促す」というような意味なんだな。ある意味、やさしい・・・。
私の場合はそうではなくて、「息の根を止める」とか「再起不能に追い込む」? そんな感じだったな。
一昨日の夕暮れ。
本格的な秋にならないけれど、日だけはどんどん短くなっていく。
やっぱり秋は寂しい。
『団地のふたり』も、どんな最終回になるんだろう。
優しく穏やかで活気にあふれた日々は、それぞれのなかで形を変えて、人の老いとともに時代をこえていく。
永遠はここにもなかったのかな。
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