2011.6.12 (日)
●●村上春樹から世界へ発信
スペインのカタルーニャ国際賞授賞式での村上春樹氏の受賞スピーチ。
http://mainichi.jp/enta/art/news/20110611k0000m040017000c.html?toprank=onehour
さすが作家の言葉。諸々胸にあるけれど表現しきれないものがきれいに整然とまとめられている。
反核を信じつつ、でも時間が過ぎていくうちにこの国では原発の建設がいつのまにか進み、気づいたら二桁の数にのぼっていた。
その安全性を心底信じたことはないけれど、でも原子力の平和利用なんだし、もうなくてはならないものなんだし・・・と誰に強いられることもないのに勝手に信じ始めて、いや信じてはいないけど半分あきらめて、そうやって3月11日を迎えた人は多いだろう。
たぶん私もその一人。安全神話を100%信じてはいなかったけど、流れはこんなもんかな、とそっぽを向き始めていた。
唯一の被爆国に生まれながら、「核に『ノー』と言い続けられなかった」わけだ。
とくに信者ではないが、村上春樹の作品はほぼすべて読んでいる。
世界でも認められる日本の作家がきちんと自分の言葉で、この国の、そしてこの国の人間の「今のさま」を、過去からの総括を冷静に発信してくれるのは誇らしい。
その真意にすべて賛意を寄せられなくても、日本人を貶めることなく、無意味に鼓舞することなく語っているのは心地よい。
どこかのTOPが、原発の運転の再開のめどがたたない現状を「この国の人間には原発へのセンチメントがある」の一言で片づけて過去を総括せずに原発推進の道を進めようとしているのに比べたら(比較することがおかしいけど)、同じ国の人間としては多少は誇らしい気がする。
そのTOPさんはかつて「作家」だった人なんだけど、今は見事に「言葉」への畏敬の念を忘れちまってるけどね。
けれど、それでも、この高尚な発信も今は私の胸に強く深くは響かない。それはそれとして、「日本は大丈夫か?」と危惧の念を抱く異国の人々への恥ずかしくない決意の言葉として読むだけだ。
それより今は、ネットのすみでみつける、現地に出向いて発信する人々の舌足らずの文章や無駄に感情的なレポを自分なりに取捨選択して、怒ったり泣いたり、感動したり、そしてなるべく誰かに何かに影響されすぎずに自分の見方を深くしていることを進めるばかりだ。
そういうことを自分に課していかないと、きっと5年後、10年後に後悔する、「あのとき、自分で決めなかったこと」を悔いたくはないもの。
ちなみに次は、2009年2月18日のエルサルム賞の授賞式での村上氏のスピーチです。
http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php
「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」
素直に感動した記憶あり。
3月11日から3カ月。
仮設住宅に当選しながら引っ越せない人々のそれぞれの事情。
仮設に入りたくてもなかなかうまくいかない家族の嘆き。
どちらにも「そーだよなあ」と納得できる理由がある。
政治は停滞している場合じゃない。
被災地に何度も足を運んでいる政治家も少なくはないだろう。そういう政治家が集めてきた多くの声にこたえるべく、今停滞している場合じゃない。
今日、わが家のゴンベエの兄弟が久しぶりに遊びにやってきた。
ベトナムで生まれ、ディズニーシーまで一緒に旅した二人です。
ちなみに向かって左の「ハチマキ」が甘ったれゴンベエ。
右はいつも留守番をしているという凛々しい「番長」くんです。
二人は思い出話と近況報告に時を忘れ、そのあと並んでTVを見ていましたよ。
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