■人を簡単に分析しちゃう傲慢さ
●コメンテーター総「精神科医」化?
また(そう言わざるを得ない)、社会を驚愕させる事件が起きた。その内容について書く気はない。新聞やニュースで読むだけの私に、たとえこんなごくごく内輪のブログであっても何人かの方が読んでくださるのなら、それについて曖昧な情報から勝手なことを書くことは許されないと思っている(当然だよね)。
私が書きたいのは、ワイドショーやニュースショーで、キャスターがしたり顔で「容疑者のこれまでの軌跡についてまとめてみました」と言って始まるコーナーについてだ。
弁護士、元刑事、元検事、といった肩書きをもつコメンテイターや、タレント、「なんでも評論家」とでもいうしかないような、たぶん本人たちは「知識人」とか勘違いしちゃっている人たちが、その「まとめてみました」というインスタントの映像を見て、いろいろ述べる。
「生い立ちをみる限りでは、抑圧された中で少しずつ蓄積された暴力性がここにきて一気に爆発して…」とか「阻害された状況が長期間続き、そういう幼年期を過ごしたことで、今度は他人に認められたいという欲望が異常に発達し…」とか、簡単に言っちゃうんだなあ。
弁護士や検事をしていれば、さまざまな人に出会うだろう。それぞれに多くの問題を抱えた人の話を聞いたり調査したりした経験も豊富だろう。それは私たち一般人の経験を遙かに超えるものだとは思う。それは認める。でも、それでも私には大いなる違和感だ。短い取材期間のあと時間に追われるようにして制作した、ほんの数分のビデオや、リポーターの浅いリポートを聞いただけで(もちろん自ら調査などはしているコメンテーターもいるとは思うが)、なんであんなふうに「精神科医」気取りの発言ができるんだろう。
本物の精神科医やカウンセラーだって、一人のクライエントを診断するには、本人と向き合って何度も会話を重ね、家族歴なども尋ね、そこから診断を下すというし、それでもケースによっては、複数の診断名から一つにしぼれないことだってあると聞く。
私の知り合いに医学専門書の編集者が何人かいる。こういう仕事をしていると、たまに「俺はそこいらの精神科医よりわかってるんだよ」的な愚かな勘違いをしてしまうやつがいて、仲間のことを「あいつは統合失調症の気がある」とか「あの子は拒食症のなってもおかしくないね」なんて評したりするのだ(バカめ!)。私はコメンテーターの発言を聞いていると、たまにあの愚かな不遜な編集者君を思い出したりすることがある。似てはいないですか?
何か言わなくちゃ番組は成り立たないし、制作者サイドは「深い掘り下げのある番組作り」を目指しているのかもしれないけれど、視聴者はそんなにアホではないぞ、と言ってみたくなるのだ。
ふんふん、そうやってみんなで「そうだそうだ」と納得して、それで容疑者の人となりを半分でもつかんだつもりでいる「コメンテーター」の発言は、話半分ということにしておきませんか、みなさん。そんな簡単に分析できるほど、人間の行動は単純ではないと思うし。
●おきまりの「卒業文集」
それから、いつも思うのは、「卒業文集」のたぐい。小学校・中学校・高校での卒業文集に書かれた容疑者の作文を、まことしやかに解析しているのも、なんだかなー、だ。
あそこに書かれた「ごくごく普通の小学生の作文」を取り上げて、「この頃から、普通の子どもとはどこか違うものを感じますね」「この容疑者だけは、夢は特にない、と書いてありますが、この時期は将来への希望に胸がふくらんでいるはずですよねぇ。それなのに…」なんて言っちゃう。
文章なんて得手不得手があって、「めんどくせーなあ」と作文を書いた記憶のある人もいませんか。ちょっと斜に構えて書きたくなるお年頃でもあるでしょう。そこから、何がわかるというんだろう。たかが(失礼!)コメンテーターに。
結局、卒業文集くらいしか資料がないってことなんだろう。当時の同級生から借りた文集で「論じる(笑)」しかないんだろう。
「卒業文集で分析」は安易すぎますよ、制作者のみなさん。ねえ。
●「噂ですよ」って、それ何?
それから最後に、容疑者の「友人」とか「知人」として、顔を隠して登場するお知り合いのこと。本人はテレビの取材を受けて、ちょっとドキドキで答えているんだろうけど、あれも悲しいくらい下品だな。たぶん「本当の友人」はあんな取材には応じないだろうし、結局「ただの同級生」「たまに見かけるだけでろくな話しかしたことのないご近所さん」が話しているんだろうけど。
ひどいのは「よく遅刻してたって噂ですよ」「ふだんは穏やかなのに、キレると怖いって噂を聞いたことがあります」なんて、「噂話」をしている人。そして、それを流しちゃうテレビ局。
人間って、付き合いの深さによって全く異なる表情を見せるし、好意をもっているか、興味をもっているかによっても、全然違う人物像が浮き上がってくるものだ。そんなことはみんな承知しているはずだけど、でもいったん放送されちゃうと、私たちって愚かだから、「ふーん、昔からおかしな人だったのね」なんて納得してしまったりするものだ。放送って怖いと思うよ。じっくり取材して何人のも人の話をきいて番組にするんだとしたら、相当な時間が必要なはずだし。
どちらにしても、「噂話」や通り一遍のコメントを流すテレビ局サイドの怠慢さっていうか、いい加減さっていうか、視聴者をバカにした姿勢っていうか、おかしいなあと思う。何より、顔を隠してインタビューに応じる「友人」「知人」の品性は最悪です。
というわけで今回も「ワイドショー」批判に終始してしまった私。だったら見なければいいのに、って言われそう。ホント、そうです(恥)。
でもついつい朝の忙しい時間に、時計代わりとはいえ見てしまう。「ミーハーなやつめ!」とお笑いください。
かわいい宮崎あおいちゃんの朝ドラを見たいのですが、残念ながらその頃は電車の中です(泣)。
さて、仕事に戻ろう。まだ当分帰れません。
●コメンテーター総「精神科医」化?
また(そう言わざるを得ない)、社会を驚愕させる事件が起きた。その内容について書く気はない。新聞やニュースで読むだけの私に、たとえこんなごくごく内輪のブログであっても何人かの方が読んでくださるのなら、それについて曖昧な情報から勝手なことを書くことは許されないと思っている(当然だよね)。
私が書きたいのは、ワイドショーやニュースショーで、キャスターがしたり顔で「容疑者のこれまでの軌跡についてまとめてみました」と言って始まるコーナーについてだ。
弁護士、元刑事、元検事、といった肩書きをもつコメンテイターや、タレント、「なんでも評論家」とでもいうしかないような、たぶん本人たちは「知識人」とか勘違いしちゃっている人たちが、その「まとめてみました」というインスタントの映像を見て、いろいろ述べる。
「生い立ちをみる限りでは、抑圧された中で少しずつ蓄積された暴力性がここにきて一気に爆発して…」とか「阻害された状況が長期間続き、そういう幼年期を過ごしたことで、今度は他人に認められたいという欲望が異常に発達し…」とか、簡単に言っちゃうんだなあ。
弁護士や検事をしていれば、さまざまな人に出会うだろう。それぞれに多くの問題を抱えた人の話を聞いたり調査したりした経験も豊富だろう。それは私たち一般人の経験を遙かに超えるものだとは思う。それは認める。でも、それでも私には大いなる違和感だ。短い取材期間のあと時間に追われるようにして制作した、ほんの数分のビデオや、リポーターの浅いリポートを聞いただけで(もちろん自ら調査などはしているコメンテーターもいるとは思うが)、なんであんなふうに「精神科医」気取りの発言ができるんだろう。
本物の精神科医やカウンセラーだって、一人のクライエントを診断するには、本人と向き合って何度も会話を重ね、家族歴なども尋ね、そこから診断を下すというし、それでもケースによっては、複数の診断名から一つにしぼれないことだってあると聞く。
私の知り合いに医学専門書の編集者が何人かいる。こういう仕事をしていると、たまに「俺はそこいらの精神科医よりわかってるんだよ」的な愚かな勘違いをしてしまうやつがいて、仲間のことを「あいつは統合失調症の気がある」とか「あの子は拒食症のなってもおかしくないね」なんて評したりするのだ(バカめ!)。私はコメンテーターの発言を聞いていると、たまにあの愚かな不遜な編集者君を思い出したりすることがある。似てはいないですか?
何か言わなくちゃ番組は成り立たないし、制作者サイドは「深い掘り下げのある番組作り」を目指しているのかもしれないけれど、視聴者はそんなにアホではないぞ、と言ってみたくなるのだ。
ふんふん、そうやってみんなで「そうだそうだ」と納得して、それで容疑者の人となりを半分でもつかんだつもりでいる「コメンテーター」の発言は、話半分ということにしておきませんか、みなさん。そんな簡単に分析できるほど、人間の行動は単純ではないと思うし。
●おきまりの「卒業文集」
それから、いつも思うのは、「卒業文集」のたぐい。小学校・中学校・高校での卒業文集に書かれた容疑者の作文を、まことしやかに解析しているのも、なんだかなー、だ。
あそこに書かれた「ごくごく普通の小学生の作文」を取り上げて、「この頃から、普通の子どもとはどこか違うものを感じますね」「この容疑者だけは、夢は特にない、と書いてありますが、この時期は将来への希望に胸がふくらんでいるはずですよねぇ。それなのに…」なんて言っちゃう。
文章なんて得手不得手があって、「めんどくせーなあ」と作文を書いた記憶のある人もいませんか。ちょっと斜に構えて書きたくなるお年頃でもあるでしょう。そこから、何がわかるというんだろう。たかが(失礼!)コメンテーターに。
結局、卒業文集くらいしか資料がないってことなんだろう。当時の同級生から借りた文集で「論じる(笑)」しかないんだろう。
「卒業文集で分析」は安易すぎますよ、制作者のみなさん。ねえ。
●「噂ですよ」って、それ何?
それから最後に、容疑者の「友人」とか「知人」として、顔を隠して登場するお知り合いのこと。本人はテレビの取材を受けて、ちょっとドキドキで答えているんだろうけど、あれも悲しいくらい下品だな。たぶん「本当の友人」はあんな取材には応じないだろうし、結局「ただの同級生」「たまに見かけるだけでろくな話しかしたことのないご近所さん」が話しているんだろうけど。
ひどいのは「よく遅刻してたって噂ですよ」「ふだんは穏やかなのに、キレると怖いって噂を聞いたことがあります」なんて、「噂話」をしている人。そして、それを流しちゃうテレビ局。
人間って、付き合いの深さによって全く異なる表情を見せるし、好意をもっているか、興味をもっているかによっても、全然違う人物像が浮き上がってくるものだ。そんなことはみんな承知しているはずだけど、でもいったん放送されちゃうと、私たちって愚かだから、「ふーん、昔からおかしな人だったのね」なんて納得してしまったりするものだ。放送って怖いと思うよ。じっくり取材して何人のも人の話をきいて番組にするんだとしたら、相当な時間が必要なはずだし。
どちらにしても、「噂話」や通り一遍のコメントを流すテレビ局サイドの怠慢さっていうか、いい加減さっていうか、視聴者をバカにした姿勢っていうか、おかしいなあと思う。何より、顔を隠してインタビューに応じる「友人」「知人」の品性は最悪です。
というわけで今回も「ワイドショー」批判に終始してしまった私。だったら見なければいいのに、って言われそう。ホント、そうです(恥)。
でもついつい朝の忙しい時間に、時計代わりとはいえ見てしまう。「ミーハーなやつめ!」とお笑いください。
かわいい宮崎あおいちゃんの朝ドラを見たいのですが、残念ながらその頃は電車の中です(泣)。
さて、仕事に戻ろう。まだ当分帰れません。