神子屋教育🇯🇵(かみこやきょういく)

我が家流/みみかとママの「おうち」教育

11日の私:ひふみ(123)の断食/3月 其の2

2011年03月19日 | 不殺生菜食者
東北関東大震災が起きた3月11日。
私は、3月の2度目のひふみ(123)の断食を決行していた。

実は10日の夜の就寝時に、かつて体験した事の無い何とも言えない感覚を味わった。
最初はパニック症候群の入り口かと怯えたが、ちょっと違っていた。
初めて感じるその感覚は恐怖心を超えていた。

『目が覚めたら死んでるかもしれないな』そう思った。
『その時は諦めよっ!』ともあっさり思えた。
諦め=覚悟が私の中にあった。

そうして覚悟を決めて眠りに入る直前。
『たくさんの人が死ぬかも知れないな・・・』と、ふと思った。


11日の朝、何事も無く目覚めた私は、いつものように、

<思うところ>
・「食べ物」への感謝
・「味わうこと」への感謝
・「あること」への感謝
・「自分の体」への感謝
・「時の刻み、日の進み、暦とリズム」への感謝


<私なりの断食>
・「噛み付く」「噛み切る」「噛み砕く」をしない。
・飲料(お茶やコーヒーなど)ok
・口の中で舐めて溶けるもの(一口サイズのチョコレートやチーズなど)ok
・噛まないもの(ヨーグルトや具なしの吸い物やスープなど)ok

を決行していた。


いつもは付けっ放しするほどラジオっ子の私。
この日は午後3時ごろまでラジオを付けずにいた。
スイッチを入れた途端、流れてきたのは緊迫した地震情報。

時間を追うほどに甚大な被害の情報が伝えらた。
大勢の死者が出た・・・。


夜、私はみみかのご飯を用意した。
献立は天ぷらだった。
私は天ぷらが大好き!

「人はいつか死ぬ。
いつ死ぬかなんて分からない。

もしかしたら、この食事が最後になるかもしれない。
断食なんて止めて、目の前の美味しいものを食べる?
それとも、自分の意志を貫いて断食を通す?」

どっちの行動を取る自分を選ぶのか、私の中でちょっとした葛藤が生じた。
結局のところ選んだのは・・・、やっぱりそのまま断食する私だった。

欲に眩んで目の前の美味しいものを選ぶより、自分の意志を貫く断食を選んだ。
「こうありたい自分」の思いのままに、素直に生きる自分がちょっと嬉しかった。

「私は私でありたい」
「今を生きる私でありたい」
ずっとずっと、そういった生き方を選んできたのだから。
死を迎えるときが来ても、私は私の選択をちゃんとするだろう。

たとえ誰かに理解されなくても、私は私を理解しているから・・・。

出来事の全てに私は感謝を捧げます。
ありがとう。
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