昨日思い切って
猪名川町の肝川神社に行ってよかった。
最近は神社に行くのが楽しみになっている。
神社に行って参拝すると、心が落ち着く。
ずっとそこにいたいと思う神社もある。
たぶん私と波長が合うのだろう。
亡父も、晩年は、神社、仏閣によく出かけていた。
亡父は57歳で亡くなったから、まだ壮年であったが、
己の死期に気づいていたのかもしれない。
亡父は、大正9年1月4日生まれであった。
子供のころから神童と言われ、東京帝大を出たエリートであった。
が、曲がったことは大嫌いで、
国家公務員であったが、上司の命令でも、曲がったことであれば従わなかったと聞いている。
結果、いわゆる出世はできなかった。
が、晩年、高等学校時代の友人、大学時代の友人たちが華々しく出世していくのを、
多少は寂しく思ったのではないか。
それで、神社、仏閣巡りに熱心になったのではなかったと、これは娘の私の推測である。
亡父は、そういう人であったから、上司からは疎まれることもあったらしいが、
部下からは慕われることが多かった。
亡くなったときも、葬式が終わったあとで、
部下だった女性の方が来られて、仏壇の前で声を出して泣かれたことがあった。
泣かれたというと、お葬式のときに、母の弟の奥さん、私からいうと義叔母にあたる人が、
やはり大泣きしたのを覚えている。
私の祖母は、私などのような身内にはよかったが、
義叔母にはずいぶん厳しいところもあったようで、
そんな辛い思いをしているころに、
私の父は、いつもこの義叔母を気遣ったという。
今年亡くなった母の葬儀にも、この義叔母は来てくれて、
「義兄(にい)さんは、本当にやさしい人だった」と言ってくれた。
こういうふうに目下の人たちに慕われた父は、本当にやさしい人だったのだろう。
出世などしなくても、こういうふうに慕ってくれる人がいただけでも生きた甲斐があったと
私は思う。
私も、もちろん可愛がられた。溺愛と言われるほどに・・・。
*
・亡くなりて四十一年経ちました生きていませば九十八歳
・一月に亡くなりました母さんと今頃一緒に私のもとに
・お父さんお母さんたち思ひ出すことがこの頃おほくて今日も
・雨の日はことに父さん母さんを思ひだすのはなぜなのでせう